三輪教子さんは亡くなった長女純子さんを思いながら竹灯籠に手を合わせた=17日午前10時10分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大田将之)
三輪教子さんは亡くなった長女純子さんを思いながら竹灯籠に手を合わせた=17日午前10時10分、神戸市中央区加納町6、東遊園地(撮影・大田将之)

 「忘れない」なんて当たり前。忘れられるはずがない。寝ても覚めても、娘を思い出す。

 神戸市須磨区稲葉町6の三輪教子さん(82)は神戸市中央区の東遊園地で、激震で亡くなった長女の純子さん=当時(25)=の名前を静かに見詰めた。

 31年という年月をかみしめる。あの日のことは昨日のように鮮明に浮かぶ。

 下から押し上げられるような突然の揺れだった。木造2階建ての自宅は1階がつぶれて全壊した。

 2階で寝ていた教子さんと夫、長男ははい出ることができた。でも、1階で寝ていた純子さんだけが見つからない。何度も名前を呼ぶ。返事はなかった。

 長男と近所の住民らが救出を試みる。どこかで覚悟していたのだろうか。「顔がぺしゃんこになっていませんように」と祈った。

 どれくらいたったか分からない。長男が純子さんを背負って出てきた。布団を頭までかぶった状態で見つかった。顔は傷一つない。着ていたパジャマも乱れていない。亡くなったなんて信じられなかった。

 成人式で着た振り袖も、がれきから引っ張り出された。赤地に黒の華やかな幾何学模様。お気に入りの着物だった。「着せてほしい」と思っているかもしれない。火葬前、そっと体にかけた。

 自分の意見をはっきりと言うしっかり者の娘。観光船の案内ガイドを務め、希望を実現していた。「短いけど、楽しく元気に生きた人生だっただろう」。そう思えたことが救いだった。

 震災後すぐ、ある人から「しょうがないわね。諦めないと」と言われた。そんな言葉なら聞きたくない。深く傷つき、以来、純子さんの話をしなくなった。

 十七回忌の1月17日、東遊園地で職場の上司の男性と出会った。娘の話をすると「偉かったね」と静かに受け入れてくれた。心がほどけ、次第に純子さんのことを人に話せるようになった。

 おしゃれ好きだった純子さん。数年前、がれきの中から出てきた木箱を整理していたら、中に化粧品が見つかった。「年を取ってもおしゃれを楽しんで」と言われている気がした。

 この日、純子さんの化粧道具で眉を描き、東遊園地を訪れた。娘を失ってからいいことがあっても心から楽しめない。悲しさ、つらさはずっと変わらない。それでもきょうは明るく語りかけよう。あなたが落ち込まないように。「今年も元気でここへ来られたよ」(中村有沙)