「忘れない」なんて当たり前。忘れられるはずがない。寝ても覚めても、娘を思い出す。
神戸市須磨区稲葉町6の三輪教子さん(82)は神戸市中央区の東遊園地で、激震で亡くなった長女の純子さん=当時(25)=の名前を静かに見詰めた。
31年という年月をかみしめる。あの日のことは昨日のように鮮明に浮かぶ。
下から押し上げられるような突然の揺れだった。木造2階建ての自宅は1階がつぶれて全壊した。
2階で寝ていた教子さんと夫、長男ははい出ることができた。でも、1階で寝ていた純子さんだけが見つからない。何度も名前を呼ぶ。返事はなかった。
長男と近所の住民らが救出を試みる。どこかで覚悟していたのだろうか。「顔がぺしゃんこになっていませんように」と祈った。
どれくらいたったか分からない。長男が純子さんを背負って出てきた。布団を頭までかぶった状態で見つかった。顔は傷一つない。着ていたパジャマも乱れていない。亡くなったなんて信じられなかった。
成人式で着た振り袖も、がれきから引っ張り出された。赤地に黒の華やかな幾何学模様。お気に入りの着物だった。「着せてほしい」と思っているかもしれない。火葬前、そっと体にかけた。
自分の意見をはっきりと言うしっかり者の娘。観光船の案内ガイドを務め、希望を実現していた。「短いけど、楽しく元気に生きた人生だっただろう」。そう思えたことが救いだった。
震災後すぐ、ある人から「しょうがないわね。諦めないと」と言われた。そんな言葉なら聞きたくない。深く傷つき、以来、純子さんの話をしなくなった。
十七回忌の1月17日、東遊園地で職場の上司の男性と出会った。娘の話をすると「偉かったね」と静かに受け入れてくれた。心がほどけ、次第に純子さんのことを人に話せるようになった。
おしゃれ好きだった純子さん。数年前、がれきの中から出てきた木箱を整理していたら、中に化粧品が見つかった。「年を取ってもおしゃれを楽しんで」と言われている気がした。
この日、純子さんの化粧道具で眉を描き、東遊園地を訪れた。娘を失ってからいいことがあっても心から楽しめない。悲しさ、つらさはずっと変わらない。それでもきょうは明るく語りかけよう。あなたが落ち込まないように。「今年も元気でここへ来られたよ」(中村有沙)






















