高校2年生の堤将太さん=当時(16)=が自宅に近い神戸市北区の路上で刺殺されたのは2010年10月の夜だった。通り魔か、怨恨(えんこん)か…。兵庫県警の捜査は暗礁に乗り上げ、犯人にはたどりつけないでいた。10年後、容疑者の逮捕をあきらめない堤一家の姿を本紙は連載「将太よ」で描いた。さらに6年。この間、容疑者は逮捕され、最高裁で懲役18年の刑が確定した。だが、堤一家の闘いは続いている。なぜ終わらないのか。その理由を再び描く。(竜門和諒)
■11年逃亡「親にも責任の一端」
よく晴れた暑い日だった。事件発生から11年が迫る21年8月4日の正午前。
自宅の電話がなり、将太さんの父、敏(さとし)さん(67)が受話器を取る。
兵庫県警捜査1課のなじみの刑事だ。様子を気に掛け、よく連絡をくれる。
「もしもし」
いつもの電話か。軽い気持ちで出た。
「捕まえましたよ」
わずか一言、そう告げられた。声は涙で震えているように聞こえた。
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何のことか、すぐには分からない。「犯人捕まった」。紙に走り書きし、そばにいた妻の正子さん(69)に放り投げた。
電話が切れる。父と母は遺影に「将太、捕まったぞ」と何度も声をかけた。数時間、刑事からの続報を待ったが、連絡はこない。
不思議なくらい、静かな時間が流れた。
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夕方、神戸北署の刑事が今後の対応をサポートするため自宅を訪ねてきた。敏さんの第一声は「これってほんまですの」だった。
自宅前に記者が集まり始める。情報を求められたが、敏さんは「何か情報とってきてや」と聞き返した。
将太さんは仲良し4人きょうだいの末っ子だった。社会人になった9歳年上の長女、8歳年上の次女、そして2歳年上の長男が仕事を終えて駆け付けた。
午後8時半すぎ。東京オリンピックの野球日韓戦をうわの空で眺めていた堤家のリビングのテレビに「容疑者逮捕」のニュース速報が流れる。
その頃、神戸北署の捜査本部で、容疑者逮捕の会見が始まった。
捜査1課長が読み上げる。「犯行当時17歳の A 男 現在28歳」。被害者との関係は「今後の捜査で明らかにしていく」。
まだ、何も分からない。それでも、敏さんの携帯電話は知人からの電話で鳴りっぱなしだった。事件現場には将太さんの友人らが集まり、大好きだったコーラや、缶ビールを手向けた。
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事件が動いたのは、容疑者を知る人物からの一本の情報提供だった。
逮捕の翌日、父と母は神戸北署を訪ね、捜査本部の捜査員らに頭を下げた。
そして、1枚の写真を見た。事件の少し前に撮られたという10年以上前の容疑者の顔写真だった。
外にはねた長髪、太い眉に細い目。公開されている似顔絵にそっくりだった。
容疑者は実在し、本当に逮捕された-。やっと実感がわいた。
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10年と10カ月。雲をつかむような日々だった。
家族は情報提供を求めて活動を続けた。一度もあきらめたことはないが、「もうあかんかな」と弱気になったこともある。
だからこそ、念願の逮捕で「燃え尽きた」ようにも感じた。だが、容疑者の輪郭が見えてくるほど、新たな疑問がわいた。「なぜ将太が殺されなければならなかったのか」と。
最初に敏さんの頭をよぎったのは、容疑者の年齢だった。事件当時17歳。逮捕時は成人だが、少年法で保護され、顔写真や実名は明かされない。
堤さん一家は事件後、身を削りながら社会に呼びかけ、「夜に外出させるのが悪い」と心ない中傷を浴びたこともあった。
それなのに、加害者一家は何事もなかったかのように生活していたのか。
「法が少年だった容疑者を守るなら、親にも責任の一端があるのではないか」
そんな思いが膨らんでいった。
























