加古川市に新幹線の駅。そんな構想が動いていたことをご存じだろうか。
モスクワ五輪ボイコットやプロ野球・巨人の王貞治選手の現役引退などがあった1980年。11月に加古川市議会の国鉄(現JR)高架駅舎特別委員会で、当時の中田敬次市長(故人)が「市内に新幹線駅を新設しよう」との私案を示し、議会に協力を要請した。
私案は、赤字ローカル線廃止反対運動の中で生まれた。新幹線新駅を求心力にして、加古川線や高砂線(84年廃止)などローカル線の利用者を増やす-としていた。人口増加をたどった時代。市の「市民意識調査」でも新駅について6割が「必要」と回答していた。
私案の駅舎は市西部の加古川河川の鉄橋沿い。当時、市長と論戦を交わした元市議の橋本忠明さん(83)は「用地買収の必要がなく、この場所を選んだと説明があった」と振り返る。
























