豊かな歴史を歩んできた「五国」が集まる兵庫県は、全国でも有数の文化財保有県として知られる。しかし30年前に発生した阪神・淡路大震災では、国・県の指定文化財に限らず、数多くの大切な文化的・歴史的な遺産が被災した。修復された建造物や美術工芸品などがある一方で、失われてしまったものもある。この経験は、地域の個性を形づくる上で文化遺産がなくてはならないものであると気付かせる契機になった。

 震災の後、文化遺産の保全や継承に関する新たな取り組みや仕組みが生まれた。被災地から全国に広がった動きを振り返ってみたい。

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 今月中旬、神戸・ポートアイランドで、11回目の全国史料ネット研究交流集会が開かれた。災害被災地の古文書や写真の救出・保全などに取り組む全国の団体などからオンラインを含めて約200人が参加、震災からの30年を検証して議論した。

 歴史資料ネットワーク(略称・史料ネット)の原点は阪神・淡路の被災地にある。地震から1カ月もたたない中、歴史研究者らがボランティアで集まり、文化財に指定されていない歴史資料のレスキュー活動を始めた。震災では膨大な資料が廃棄されたとみられるが、史料ネットは段ボール約1500箱分を守った。

 その後、地震、豪雨などの大規模災害などに伴い、全国各地で救出・保全活動が起きた。これまでに約30団体が立ち上がり、連携を強める。神戸での集会は30年間の活動の広がりと深まりを感じさせた。

■被災地発の仕組み

 阪神・淡路では、文化財に指定されていなかったために取り壊された歴史的な建造物などが目立った。補修などに公的な補助もなかった。市民に親しまれた近代建築や酒蔵などを喪失したのは残念でならない。

 この反省から法改正され、震災翌年にできたのが文化財登録制度だった。例えば建造物が国の登録有形文化財になると、保存や活用に補助が出るほか税制面の優遇がある。一部を改装して店舗などにもできる。

 登録記念物なども含めて全国で1万4千件以上が登録された。30年間で地域の文化財がこれだけ増えた意義は大きい。兵庫県で登録されたのは神戸市東灘区の御影公会堂や西宮市の武庫川女子大甲子園会館(旧甲子園ホテル)など784件で、大阪府に次ぎ全国で2番目に多い。

 ただ、地域の文化遺産を発見し、評価するのは容易な作業ではない。専門的な人材も要る。これに対応するため、県教育委員会などが2002年に養成を始めたのがヘリテージマネージャーだ。建築士らが講習を受けて資格を取得する。建造物、天然記念物、美術工芸品、名勝、有形・無形の民俗文化財の分野があり、800人を超えた。県内の半数以上の文化財登録に関わったという。

 被災地発の仕組みであるヘリテージマネージャーもほとんどの都道府県に広がった。これ自体が震災の経験から生まれた文化であろう。

■市民とともに守る

 震災は、地域の文化の意味を住民自身が考える契機になった。その例の一つに、神戸・阪神間で盛んなだんじり祭りがある。担い手の住民は大きな被害を受け、壊れただんじりもあった。だが祭りは震災の翌年から復活し始め、復興のシンボルになった。震災直後は祭りによるつながりが助け合いにも役立った。

 先日の全国史料ネット研究交流集会では、文化遺産の保全や継承について、専門家が市民に対して「上から目線」になっていないかと自戒を込めた問いがあった。確かに両者の交流はそれほど活発とは言えない。

 文化財には専門家による評価が必要だが、次代に伝えるには、市民とともに地域で守るという姿勢が欠かせない。県教委文化財課も文化遺産の意味について「学術的な価値観に加えて、地域で大切にされているかどうかが大きい」とする。

 継承していく意義とそれに伴う課題を市民と専門家が対等な立場で共有する。そのような地域社会の実現に向けた議論を深めていきたい。