大災害や戦争の色あせた写真、モノクロの映像など大昔に撮影されたメディアが、最新のAI技術によって当時の色を忠実に再現できるようになった。1923年に発生した関東大震災の写真や映像がカラー化され公開されると、まるで昨日起きた出来事のように「私たちの時代と変わりないんだ」という感覚をもたらすのに成功した。断絶した過去を「わたしごと」として捉える身近さに特徴がある。
昨年『五感でとらえなおす阪神・淡路大震災の記憶』(関西学院大学出版会)の本をゼミナールで刊行した。阪神・淡路大震災を事例に、当時は生まれていない学生たちが30年前の大災害がどのように記憶として残っているのかを人々の五感(嗅覚、視覚、味覚、触覚、聴覚)を通じて明らかにした論集である。
災害は、写真や映像など特に目で見た記憶で把握されやすい。だがこの本は「見えない」ことにも着目し、直接体験していない学生が体験者から聞き取りを重ねて災害の記憶を問い直した。その中では、視覚を経由しない記憶も100年前の写真のカラー化と同じようにリアルなものとして立ち上がってくる。
■視覚障がい者のレジリエンス
ここで問いを挟んでみたい。たとえば視覚障がい者のように視覚という感覚が閉ざされた当事者は震災をどのように知覚し、どのように避難し、どのように復興を感知したのか。
ある人は、復興とは「スーパーで見知らぬ人に声をかけられるようになったことだ」と答えた。建物や道路などモノの破壊と復興は分かりやすいが、そうではなかった。震災直後は人に声をかけられないほど人間関係がギスギスしていたが、時を経て他の人に優しい声をかけられるようになった。それだけ人々に心の余裕ができたことを、視覚障がい者は視覚とは異なるセンサーで感知していた。それを学生が聞き出したのである。
このことは、カメラなどの技術によって視覚的権威を行使し、人々の認識に大きな影響力を持つこととは対極にある。炎上する街を遠くからとらえた航空写真によって、地上の人びとを小さく見せ、被害の広がりを強調する手法は、見る者に個々の生命の損失よりも文明や都市の破壊について大きく訴えかける。それとは対照的に、人々の身の丈に合った五感を通して災害をとらえようとする試みは、視覚だけでは見過ごしてしまう災害の実相を浮き彫りにした。
晴眼者(視覚に障害がない人)は街並みや車の往来などを見て判断するのに対し、視覚障がい者は人との会話の中で復興したと感じ、晴眼者ほど復興の視覚的印象が濃くないことが分かってきた。その理由として、視覚障がい者が常日頃経験している“小さな被災”が関係しているとみる。
学生が聞き取り対象者の一人と街を歩いた際、晴眼者では感じられない、感じても何とも思わないようなにおいや音、ちょっとした傾斜を「目印」にしていることに気づいた。常に存在しているものもあったが、においや音などはいつもあるとは限らない。あるはずだった目印がないことなどによる「認知地図」の崩壊を学生は小さな被災と呼んだ。
認知地図は、頭の中でイメージとして描かれる場所や空間に関する地図を指す。ある視覚障がい者は「体で実際に当たったり、白杖(はくじょう)で突いたりしてみないと、(震災後)どこに何があるか分からない。それを重ねて覚えていく。最初に今の住宅に来た時は一人でいろいろな道を歩いた」と語った。何度も歩いて体に覚えさせ、徐々に自分にとって安全な場所や危険な場所を身体で把握していく。
日々変わりゆく社会を視覚以外の五感を使って把握し、認知地図を作り出していく営みの背景には、視覚が限られるために小さな被災を日常的に繰り返し経験し、自己防衛の感情が強く働いている。復興に対する身体的な適応力を持ち、復興を日常の一部として体感することで、晴眼者のように視覚的な影響にとらわれることはなかったのである。
生きるために必要な認知地図の崩壊を日常的に受け、その都度地図を復興させている視覚障がい者にとって、災害は常に身近にあり、慣習化している。そのため大きな地震や災害に巻き込まれても日頃から培った適応力で環境に順応しやすい側面も指摘できる。
災害という誰もが困難や脅威に直面する状況に対して、うまく適応できる能力や耐性が備わっている。こうした概念を示す「レジリエンス」という用語がある。これは、外からのリスクや大きな衝撃に対処する能力で、瞬発力の意味が転じて「対応力」「回復力」と言い換えることもできる。
災害におけるレジリエンスとは何か。復興への適応力を獲得した視覚障がい者が語る復興の体感は、大災害というその時だけの回復力を指しているというよりはむしろ、身の丈にあった日常の持続的な対応力が大切だということを示しているのではないだろうか。
(かねびし・きよし=関西学院大社会学部教授、災害社会学)