身に覚えのない容疑で拘束され、重病になっても保釈が認められず命を落とす。あってはならない冤罪(えんざい)の検証としては不十分極まりない。
機械メーカー「大川原化工機」を巡る冤罪事件で、警視庁と最高検はそれぞれ検証報告書を公表した。
立件に疑問を生じさせる「消極証拠」がありながら、警視庁公安部の現場指揮官は摘発を優先し幹部への報告を怠っていた。部下から裏付け捜査の必要性を指摘されても黙殺した。幹部側も指揮官に詳細な報告を求めず、実質的な捜査指揮は存在しなかった。
公安警察の風通しの悪さにはあきれるほかない。にもかかわらず、機能不全を招いた組織の「病根」に触れていないのは納得し難い。
一方、検察の担当官も消極証拠の存在を知りつつ漫然と起訴していた。上司の決裁制度が機能しなかった経緯の解明には至っていない。
処分内容にも疑念が残る。警察当局は計19人を処分したが、懲戒処分(相当)は退職者2人のみで、ほかは内部処分にとどまる。検察に至っては処分はゼロだった。
検証から漏れた課題もある。警視庁は、大川原化工機が軍事転用可能な噴霧乾燥機を不正輸出したとして外為法違反容疑で捜査を始めたが、省令を所管する経済産業省は当初、違法性に否定的だった。なぜ後に経産省の見解が変わったのか、理由には触れられていない。
当時、安倍晋三政権が経済安全保障の強化を進めていた。国策の影響は焦点の一つのはずだ。
2021年に検察が起訴を取り消した段階で、捜査の検証が尽くされなかったことも大きな疑問である。
大川原化工機側が国などに損害賠償を求めた訴訟で、複数の捜査員が「事件は捏造(ねつぞう)だった」と証言し、動機として「上司の欲」を挙げた。警視庁は二審の準備書面で「壮大な虚構」と表現し全否定したが、捜査の過ちを認めず真相解明を阻む構図はこれまでの冤罪事件に共通する。
検証では「自由に意見を述べることを萎縮させかねない」としてこの表現を取り消した。だが捜査班の「人間関係の不和」を要因に挙げるだけでは体質改善はおぼつかない。
警視庁の内部調査だけでは限界がある。第三者を交えて再調査し、うみを出し切るべきだ。
罪を認めなければ長期間拘束される「人質司法」の検証も不十分である。被告側の保釈請求に対し、検事が反対意見を出し続けたのは、この事件に特異な対応ではない。請求を却下し続けた裁判所の判断の是非は検証すらされなかった。人質司法は重大な人権侵害との認識の下、制度改正を図らねばならない。