豊岡で勤務していたころ、週末と祝日に運行される500円の観光バスで、但馬の名所を巡るのが息抜きだった。六つのコースがあり、生野や明延の鉱山を回る路線に好んで乗った◆バスは朝来の神子畑(みこばた)選鉱場跡に立ち寄る。山の斜面には施設群のコンクリート基礎があり、巨大要塞(ようさい)を思わせる壮観さ。従業員を運んだインクライン(傾斜鉄道)跡も印象的だった◆琵琶湖の水を京都に導く運河・琵琶湖疏水にもインクライン跡が残る。高低差のある上流と下流の停船場を結び、船を載せた台車が行き交った。疏水は水と物資を運び、水力発電で電気を供給した◆疏水の建設を主導したのは、当時の京都府知事で養父出身の北垣国道(くにみち)と、工部大学校(現東大工学部)で学んだ技士の田辺朔郎(さくろう)。2人をつないだのが、明治政府高官で上郡出身の大鳥圭介だった◆旧幕臣の大鳥は戊辰戦争で敗れたが赦免され、西洋技術に通じる博学と有能さから新政府に迎えられた。大鳥が工部大学校の校長を務めた縁で、田辺と北垣は出会った◆疏水は、都の座を失った京都の再興を期して建設された。今年で着工から140年。8月にはインクラインなどの5施設が国宝に指定された。節目を迎えた水路を但馬、播磨の俊英が支えたことに感慨を覚える。2025・12・7
























