きょう、東日本大震災の発生から15年になる。関連死を含む死者・行方不明者は2万2千人を超える。
沿岸部の被災地には新たな防潮堤が、高台には災害公営住宅が完成した。その一方で、いまも帰らぬ人を待ちわびる家族がいる。犠牲になった人の数の何倍も何十倍も悲しい物語がある。
多くの被災者にとって、15年は節目ではない。災害の記憶を伝え、語り続けることで社会の関心を高め、「次」の災害への備えにつなげる。その願いを新たにする日だ。当時を知らない世代が増える中、教訓をどう受け継ぐのか。震災体験を継承する取り組みは、重要さを増す。
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東日本大震災で失われた命の多くは「人が救えた命」だという。普段から津波避難に備えていれば。あのとき「逃げろ」と声をかけていたなら。悔恨を胸に、当事者が「語り部」となり、教訓を伝えてきた。
ただ、伝承活動に携わる団体の多くが継続に不安を抱えている。個人や企業からの寄付に頼る運営資金の先細りや、語り部の高齢化が進み、なり手不足も深刻だ。
宮城県石巻市の公益社団法人「3・11メモリアルネットワーク」が2025年10月に公表した調査報告書では、岩手、宮城、福島の3県で語り部などによる震災学習を提供する28団体の96%が活動継続に「不安がある」と答えた。3年後も資金の見通しがある団体は4割にとどまる。
震災15年で政府の第2期復興・創生期間が終わる。補助金などが打ち切られれば運営が立ちゆかなくなる恐れがある。活動を途絶えさせないための公的支援がまだまだ要る。
■震災遺構がない町で
岩手県大槌町は、震災で町民の1割近い1286人が犠牲になり、家屋の3分の2が流失・全半壊した。だが、震災遺構は町内に残っていない。町長ら多くの職員が亡くなるなどした旧役場庁舎も町を二分する論争の末、19年に取り壊された。
24年、現役場の向かいに民間施設「大槌伝承の館」ができた。遺族と研究者が共同で館長を務め「震災を伝え、学び、集う場」を掲げる。
住民が撮影した震災前の街並みや復興過程をたどる写真、旧庁舎をモチーフにした銅版画など200点以上を展示する。ふるさとを奪われることの悲しみが、静かに、重く伝わってくる。
震災で両親を亡くし、町職員だった兄が行方不明の倉堀康館長(42)は「教訓を自分ごとに置き換えて考えてほしい。伝承を減災につなげてこそ意味がある」と力を込める。旧庁舎の保存には反対だったが「保存派も解体派も同じ過ちを起こさないとの思いは一緒だった。体験者が語り継ぐ意義は大きい」と話す。遺構がない町で、多様な経験を伝え合う仕組みづくりが始まっている。
■次の世代を守りたい
岩手県立大槌高校は、震災と復興の伝承活動に力を入れてきた。
2年の志土富(しととみ)葵さん(17)と阿部夢羽さん(17)は震災当時、2歳。被災の記憶はない。幼い頃から話を聞いてはいたが、自分ごとには思えなかった。探究学習の授業では住民から震災体験の聞き取りを重ねた。「妻がまだ見つかっていない」。ある男性の話に深い衝撃を受けた。
2人は昨年、同町安渡(あんど)地区にある震災の教訓を伝える木碑(もくひ)に記すメッセージ作りに参加した。木碑は13年に同高有志が発案し地域の協力で立てた。直近まで津波が到達した地で、風化させまいと朽ちやすい木製とし、4年に1度作り替えてきた。
住民と話し合い、「『逃げろ』まずは自分だ 遠慮はいらない」など新たな文言を刻んだ。2人は「私たちが次の世代を守る番」と話す。
学びを通じ、震災が少しずつ心に落とし込まれていく。将来の夢は2人とも看護師だ。「一人でも多くの命を守りたい」と目を輝かせる。
26年度、小中学生は全員が震災後に生まれた世代となる。体験の有無にかかわらず、記憶と教訓を「わがこと」としてほしい。あの日を語ることは、未来を語ることだから。
























