尼崎JR脱線事故
■責任を負うとは
「自分に命が背負えるのか。批判に耐えられるか」
きょうも電車を走らせる。1日に数百万人の命を乗せて。兵庫県の尼崎JR脱線事故は25日で発生から17年。JR西日本では、事故後に入社した社員が全体の半数を超え、どう語り継ぐかが課題となっている。さまざまな立場で模索する社員5人に会った。(敬称略)
◆
2005年4月25日午前9時18分、快速電車は尼崎駅に向かって、時速120キロ超でカーブに入る。車体が浮き上がり、線路脇のマンションに突っ込んだ。
乗客106人が亡くなった。
■神戸駅係長 森敬一朗(40)
当時23歳。運転士になって9カ月が過ぎ、仕事が休みで実家にいると、母から携帯にメールが来た。「すぐテレビ見て」。次の瞬間、大破した電車の空撮映像が目に飛び込んできた。
「207系や」。路線は違うが、普段乗務している車種だ。状況がのみ込めず、ましてや入社6年目の同期が起こした事故とは思わなかった。多くの死傷者が閉じ込められている。でも「駆け付けなあかん」という発想は浮かばなかった。
「他線区のこと」「自分が行っても何もできない」。無意識にそう片付けてしまっていた。
■車掌 増山武司(44)
自宅で業務後の仮眠から目覚め、何げなくテレビをつけると頭が真っ白になった。当時、車掌として9年目。事故を起こした車両は、直前の伊丹駅で72メートルものオーバーランをしていた。
「車掌は異常に気付かなかったのか」。しかし、どんな経験を振り返っても目前の惨事に結び付かない。
翌日以降、乗務員室やホームで乗客から言われた。
「人殺し」「この電車は脱線しませんよね?」
頭を下げながら「電車は安全な乗り物ではなかったのか」と、自分の常識が崩れていくのが分かった。
■神戸支社総務企画課 瀧上太輔(33)
「あいつと電話がつながらん」。電話越しの父の声がうわずっていた。当時、高校2年生。6歳上の兄もJR西の運転士で、その日の朝も出勤していた。
しばらくして、事故を起こしたのは別人と知る。家族で安堵(あんど)したのもつかの間、帰宅してくる兄の表情は日に日にやつれていった。
憧れ続けた運転士の背中。自分も後を追うと決めていたのに、怖くなった。
「自分に命が背負えるのか。批判に耐えられるか」
■運転士 高橋雄貴(30)
3年後の08年春。
高校2年になり、両親に「卒業後はJR西に就職したい」と打ち明けると、父は強い口調で反対した。
「それはあの事故の責任を、おまえも背負っていくってことなんやぞ」
父は警察官で直後の救助活動に当たっていた。どれだけの死を見たのだろう。ただ自分は当時、中学2年で、テレビ越しに実感はつかみきれなかった。
当事者でなかった自分が責任を負うとは、どういうことだろう…。入社してからも、父の言葉が何度も頭をよぎる。
■宝塚管区駅員 横山慶太郎(25)
16年後の21年春。
入社3年目の職場研修で、事故当日のことを聞いた。普段は笑顔の絶えない上司が語り出した途端、深く沈んだ目をした。
車両から続々と遺体が運び出された。駅に遺留品が大量に集まってきた。かばん、携帯電話…。当時は小学3年生でどこか遠い出来事に感じていたが、確信できたのは、そこで今、働いているということだった。
「二度と繰り返してはいけない」。同時にこうも思った。「事故を知らない私たちに何ができるのか」
◇
それぞれの「今」を伝える。(村上貴浩、広畑千春、山岸洋介)
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