尼崎JR脱線事故
尼崎JR脱線事故(兵庫県尼崎市)から丸17年となった25日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で2年連続で中止となっていた追悼慰霊式が、事故現場の祈りの杜(同市久々知3)で開かれた。「ここに来ないと兄に会えていない気がする」「元気な限り現場で娘を思いたい」-。遺族らは、亡き人とのつながりを求めて現場に向かい、追悼の思いを届けた。
「現場に来られて、慰霊式に出られたのはすごくうれしい」と話したのは、兄昌毅さん=当時(18)=を亡くした上田篤史さん(32)=神戸市東灘区。2歳の長女が元気に育っていることなどを報告して「この場だから兄に伝わりやすい」と感じたという。
父弘志さん(67)=同市北区=は、昌毅さんに「世の中の事故に対する関心が薄れても、JR西日本としっかり向き合うからね」と誓った。コロナ禍によるJR西の赤字経営で「安全への投資に悪影響が出ないか」との心配が拭えない。
長女の平野智子さん=当時(39)=を失った同県丹波市の上田直子さん(83)は昨年、腰を圧迫骨折し、歩きにくくなったが「今年で最後かもしれない」と、夫の秀夫さん(84)と支え合って現場を訪れた。秀夫さんも病気を抱えており、検査を延期して臨んだ。
智子さんが残した3人の息子は、東京や大阪で独立しており、長男には子どもも生まれた。「私らが忘れんと智子を見守るのが、孫たちとの約束」と、この日だけは少し無理をする。
事故後は毎日、朝晩に智子さんが大好きだったサイホンコーヒーを仏壇に供えてきたが、今年初めて現場にコーヒーを持っていった。「年月がたつごとにつらい思いが強まっている」。碑に刻まれた名前を見るたび、「なんでこんなところに書かれてるの」と悔しい思いがこみ上げる。車両の一部やパネルの展示などを通して、事故の悲惨さが継承されることを願う。
コロナ禍が続く中、オンラインで式典を視聴した遺族や負傷者もいた。申し込んだのは62組で、父繁さん=当時(57)=と母靖子さん=同(59)=を亡くした会社員小杉謙太郎さん(38)は、東京都内の自宅で次男春太郎ちゃん(4)と見守った。「まだ意味を理解していないだろうけど、少しずつ事故のことを伝えていきたい。休みの日には現場に行きたい」と思いをはせた。(小谷千穂、堀内達成)
2022/4/26命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【5】言われ続けた「電車は止まっている時が一番安全」2022/4/28
命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【4】気付けば、毎月現場に通っていた2022/4/27
命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【3】走行車内で何度も「人殺し」と非難され2022/4/26
3年ぶり慰霊式「ようやく会えた」 尼崎JR脱線事故17年 遺族ら現場で、オンラインで追悼2022/4/26
尼崎JR脱線事故で三田学園のOB犠牲 命の重さ、後輩が語り継ぐ 吹奏楽部員が献花2022/4/26
「何とかせなあかんかった」「二度と起こしてはならぬ」 尼崎JR脱線17年「祈りの杜」で献花2022/4/25
乗客106人を忘れない 尼崎JR脱線事故から17年、負傷者ら黙とうし、風船40個飛ばす 伊丹2022/4/25
「未来を一瞬にして奪ってしまいました」尼崎JR事故17年 3年ぶり現場で慰霊式2022/4/25
命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【2】事故後、最初の運転で手が震えた2022/4/25
尼崎JR脱線事故17年 発生時刻に現場走行、車内放送で「事故を心に刻む」 乗客らは合掌2022/4/25
尼崎JR脱線事故17年 発生時刻に現場走行、車内放送で「事故を心に刻む」 乗客らは合掌2022/4/25
「抱きしめたかった」今も消えない思い 長男亡くした母、悲しみ携え17年 尼崎JR脱線事故2022/4/25
「娘は今もここで迷い続けている」亡き人思い再発防止訴え 尼崎JR脱線17年2022/4/25
遺族ら共に祈り 3年ぶり追悼慰霊式 尼崎JR脱線きょう17年2022/4/25
命を乗せて 尼崎JR脱線17年、社員の誓い【1】それぞれの模索2022/4/25
「パワプロ」、「めちゃイケ」…「もう話せないんや」 尼崎JR脱線17年 三田市消防本部・西さん、亡き友胸に後進育成2022/4/25
「自分たちは『想定外』と言ってはいけない」 尼崎JR脱線17年 当時出動した警防救助係長の思い2022/4/25
「わすれない」夕闇に浮かぶ祈りの灯 尼崎JR脱線、事故現場で追悼行事2022/4/24
事故車両を保存へ、年内に専用施設着工 「記憶の継承」揺れる遺族・負傷者の思い 尼崎JR脱線2022/4/24
「人が降ってきた」「僕も死ぬんや」 乗客の「証言」で振り返る尼崎JR脱線事故2022/4/24