立石正広内野手
立石正広内野手

10月23日に行われたドラフト会議で、阪神は支配下選手として5人を指名した。

1巡目では今年最大の目玉であった創価大の立石正広選手を指名。広島、日本ハムと3球団が競合したものの、藤川監督が見事クジを引き当てた。

「立石」は西日本一帯と関東南部に広がる名字で、とくに福岡県、長崎県、鹿児島県などに多い。ルーツの多くは地名で、その地名は大きな石に因むことが多い。東京都葛飾区にある「立石」という地名も、同地にある「立石様」と呼ばれる巨石に因んでいる。古代、古墳を造るための房総半島の南部から運んできたものといわれている。立石選手は山口県の出身。

2巡目の谷端将伍、「谷端」はあまり聞いたことがない名字だが、名字ランキングでは6000位台で珍しい名字というほどではない。

現在は和歌山県を中心に、関西から北陸にかけて多く、谷端選手は石川県の出身。

3巡目の岡城快生、「岡城(おかしろ)」は名字ランキングでは15000位以下という珍しい名字。

支配下指名の選手の中ではヤクルト4巡目の増居翔太選手に次いで珍しい。由来は文字通り「岡」にある「城」だろう。岡山県に多い名字で、浅口市と倉敷市に集中しており、岡城選手は岡山市の出身。なお、富山市や静岡県富士宮市にある「岡城」は「おかき」と読む。

4巡目の早瀬朔、「早瀬」は地形由来の名字。

「瀬」とは人が歩いて渡れるくらい川が浅くなっている場所のことで、こうしたところは水生昆虫が豊富で、これを食べる魚もたくさんいたことから、とても重要な場所だった。また、こうした場所は流れが速いので、急流のことも「瀬」というようになった。「早瀬」とは、そうした「瀬」の中でも特に流れの早い場所を指したのだろう。名字としては東北・沖縄以外に広く分布しており、早瀬選手は兵庫県の出身。

5巡目の能登嵩都、「能登」は旧国名である。

江戸時代の商家は、出身地や取引先に因んで「〇〇屋」と号していることが多かった。つまり「能登屋」という商家は、創業者が能登の出か、能登の商品を取り扱っていることが多かった。こうした商家では、明治になって戸籍に名字を登録する際に、屋号から「屋」をとって名字にすることも多かった。従って、「能登」という名字は「能登屋」と号した商家に由来することが多い。現在「能登」は富山県と北海道に多く、いずれも北前船を通じて能登と取引が盛んだった地域である。能登選手も北海道の出身である。

◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら研究を続ける。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえっ!」のコメンテーターを務めた。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。