高市首相の台湾に関する発言を契機に、中国国内において日系のイベントや文化交流事業の中止が相次いでいる現状は、今日の日中関係の冷え込みを象徴的に示す事態である。首相による「台湾有事には日本の存立危機事態となり得る」との発言は、中国側が核心的利益と見なす台湾問題に日本が深く関与し、軍事的関与の可能性に言及したものとして、強い反発を招いている。
この発言以降、予定されていた日本関連の展示会、音楽イベント、地域間の交流事業などが、突如として開催見送りや延期となるケースが頻発しており、経済界や文化交流の現場に深刻な影響を及ぼし始めている。一連の中止事態は、単なる一過性の政治的摩擦に留まらない、より構造的な日中関係の悪化を背景に持つと捉えるべきである。
■「政冷経熱」だったかつての日中関係
近年、国際社会における地政学的緊張が高まる中で、特に米中間の対立構造は顕著になりつつあり、日本はこの大国間の競争の中で、安全保障上の要請から米国との連携を一層強化する傾向にある。経済面では、サプライチェーンのリスク回避や「経済安全保障」の観点から、中国市場への過度な依存を見直す動きも、日本企業の間で広がりを見せている。このような国際情勢の大きな潮流に照らすと、今回のような政治的な出来事が、交流事業の中止という形で、日中間の「冷たい政治」が「冷たい経済・文化」へと波及する現象は、もはや不可避なプロセスとなりつつあると言えよう。
かつては「政冷経熱」と評されたように、政治的な対立がありながらも、経済や民間交流は活発に維持されるという特殊な関係性が日中間に存在した。しかし、現在の情勢は、この「経熱」の部分にも明確な冷え込みが見られ始めている。イベントの中止は、単に文化的な機会の喪失だけでなく、日中間の相互理解の深化を阻害し、不信感を助長する負のスパイラルを生み出す危険性をはらんでいる。
特に、民間交流は、両国民の感情的な対立を和らげ、長期的な関係の安定に寄与する重要な緩衝材としての役割を果たしてきたからである。この緩衝材が失われつつある現状は、極めて憂慮すべき事態である。
■日系イベントが政治的カードに
中国政府が国内の日系イベントに対して厳しい監視や規制を強める背景には、日本への対抗措置としての政治的な意図だけでなく、国内のナショナリズムの高まりに応えるという側面も無視できない。台湾問題だけでなく、歴史認識や尖閣諸島(中国名:釣魚島)を巡る問題など、日中間の構造的な課題は数多く存在し、これらの問題は国際情勢の緊迫化に伴い、今後も政治的な「カード」として利用される可能性が高い。
このような現状を踏まえると、今日の日中関係の冷え込みは、短期的な回復が見込めるものではなく、長期的に続く可能性が高い。来年以降も、同様に政治的な緊張を背景としたイベントや交流事業の中止、あるいは規模の縮小が続く事態を想定する必要がある。日中両国は、地理的にも経済的にも切り離すことのできない隣国であり、関係の悪化は両国にとって大きな損失となる。
■感情論に流されない現実的な対応を
今後の行方を考える上で重要なのは、外交当局間での対話のチャンネルを維持・強化しつつ、特にリスクの高い政治・安全保障分野と、比較的リスクの低い経済・文化分野を意図的に切り離す努力を、民間レベルも含めて行うことである。しかしながら、中国側のナショナリズムの高まりや、経済と安全保障を一体として捉える「経済安全保障」の概念が国際的に主流となりつつある中で、かつてのような「政冷経熱」の再現は極めて困難である。
当面の間、日中関係には明るい兆しは見えそうにない。日本側は、中国との関係悪化を前提とした外交・経済戦略を練るとともに、困難な状況下でも、地方自治体や民間企業による草の根の交流の灯を絶やさないための慎重かつ息の長い取り組みが求められている。相互不信の時代だからこそ、冷静な状況分析と、感情論に流されない現実的な対応が不可欠である。
◆和田大樹(わだ・だいじゅ)外交・安全保障研究者 株式会社 Strategic Intelligence 代表取締役 CEO、一般社団法人日本カウンターインテリジェンス協会理事、清和大学講師などを兼務。研究分野としては、国際政治学、安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障など。大学研究者である一方、実務家として海外に進出する企業向けに地政学・経済安全保障リスクのコンサルティング業務(情報提供、助言、セミナーなど)を行っている。
























