二代目マスターの渡辺元則さん(57)は、三宮駅からの歩幅を測ってみた。ちょうど千百歩。「意外とあるな」と思った。
時間があると店の前に立ってみた。人の流れはどうか、どんな層の人が通るのか、とじっと眺めていた。「市バスから渡辺さんの姿が見えたんで、一度、来てみた」。そんなお客さんが、本当にうれしかった。
北野に近い加納町に店を開いたイタリア料理店「ドンナロイヤ」は創業四十三年。震災前の旧居留地のビルは全壊し、直後から新たな店探しが始まった。地下にあった落ち着いた店の雰囲気。尋ね歩く渡辺さんの頭にあったのは「あの人なら気にいるかな」という常連客の顔だった。
「場所も世の中の条件も変わった。売り上げの見通しは、全く読めなかった」。加納町は、偶然出会った高校時代の同級生の紹介で決めた。再開まで三カ月余りがたっていた。
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三宮周辺から、北野へ、元町へ、さらに神戸駅南のハーバーランドへ。震災で店を失った「神戸の味」は次々に店を移した。「下記に移転しました」。更地や解体中のビルには、地図入りの看板が目立つ。
生田新道南のロシア料理店の草分け「バラライカ」は、北野坂に面するテナントビルを選んだ。「有名な店でも、一店だけポツンと移っただけでは人は流れてこない。周辺は、老舗(しにせ)レストランが次々と移ってきて、好条件だった」と、三代目の田部洋一さん(37)。
旧居留地で大正十五年から営業していた明治屋中央亭は、ハーバーランド・モザイクで十月開店を決めた。担当する本社課長田中望さん(47)は話す。
「旧居留地はオフィス物件が多く、合うところはなかった。モザイクの管理会社・タクトから誘いがあった。人の動態も調べ、ゴーサインを出した」
震災後、タクトはモザイク一階を改装、老舗誘致をターゲットにした。営業担当者が三宮・元町を歩き、張り紙の連絡先へ電話を入れた。「老舗と呼ばれている店はほとんど当たった」と同社。中央亭やバー、ステーキ専門店など「老舗銀座」が新たに誕生する。
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雑誌「ワンダフルコウベ」に執筆を続けるフリーライターの西脇祐介さんは「神戸の味は、港町の洋食屋から発展した」と話す。在住外国人や船員のニーズにこたえようと、外国航路や外国人倶楽部で腕を磨いた料理人を雇って店を開き、次第に輪を広げてきた。
伝統をどう守るか。バラライカは、厨房(ちゅうぼう)が縮小、従業員も減ったが、機械は入れない。手間のかかる分、メニューを減らし、ロシア家庭料理の味を守りたいという。
ドンナロイヤは、発祥の地に、何らかの形で名を残したいと考えている。中央亭は「これまでの路線を残しながら、若者が圧倒的に多いモザイクで、新しい層をどう受け入れるか」と模索する。
いち早く、自社ビルを解体、六階建てで店の再建を決めた市役所西の中華料理店「第一樓」副社長の白崎利明さん(45)は話した。
「来年秋の再開まで休業するが、四十四人の従業員はそのまま居てもらう。料理人を失うのは大変なことだ。戦後間もない二十二年から味もメニューも変えていない。料理人が残ることで味も残る。新しい店で変わるのは外観だけです」
1995/8/29