「夢のある百貨店のイメージを維持し、欲しいものを狭い売り場でと心がけた。客の声も情報ノートで聞いた」(大丸神戸店)
「百貨店である以上、衣食住の品ぞろえが必要。華やかさを残しながら、買いやすい価格帯を考慮にいれた」(そごう神戸店)
被災で売り場面積がともに三分の一に減った元町の大丸と三宮のそごうは、対策を練った。震災前より面積比の売り上げは健闘しているが、現在も差がある。大丸が売り上げを三分の二に戻したのに対し、そごうはおよそ五割。
大丸神戸店の前田利昭・広報担当課長は話した。「それは、周辺の商店街が早く立ち直ったからこそですよ」
元町では、元町商店街や南京町など復旧は比較的早かった。三宮は、地下街・さんちかが三月に再開、センター街も開いたが、今も解体中のビルが目立つ。そごう神戸店の能登雅文次長は「駅前でも、うちだけではだめだということ。センター街などの被災が痛かった」と厳しい表情を見せた。
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「ミュー」(元町東地域協議会)と、「ウィンディ三宮」。二つの町は、百貨店を中心に周辺商店街がともに振興を考える組織を持つ。共通の宣伝冊子をつくり、イベントを企画してきた。
ミュー会長で、大丸前商店街で欧風家具を扱う永田良一郎さん(70)は「ここの商店街は、昭和二年の大丸より古い。負けるものか、という気概はある」としながらも話す。
「やはり百貨店の集客力は大きい。百貨店と専門店が集まって地域が栄える。三宮、元町に行けば何でもそろう、そんな思いにこたえる都心の機能がそろわないと話にならない」
さんちかは、毎月の売り上げが前年比一一〇%前後を維持する。同地下街は「客は、さんちかで見て、そごうで見て、選ぶ。先を考えると、隣接するそごうが完全復旧していないのは苦しい」。震災前、そごう休店日には売り上げが確実に落ちたという。
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にぎわいをつくり出してきた都心の集積。相互の補完作用と役割。
九月十日、さんプラザとセンタープラザが全館オープンする。センタープラザ三階には、大阪が本拠の書店、駸々堂神戸三宮店が出店する。約三千平方メートルの売り場は、ワンフロアでは国内最大になる。
中小書店は影響を懸念するが、客足が戻らない商店は「シャワー効果」を期待する。「三階に人が集まってくることで、二階、一階、さらに周辺も客が増えれば」という思いである。
十月一日、三宮ターミナルビルオープン
十二月、阪急三宮仮設ビルオープン
来年秋、そごう改修、全面オープン
各ビルも商店も、徐々に集積に加わってくる。だが、神戸市にも、民間にもまだ全体のビジョンはない。
震災後、「ウィンディ三宮」は、それぞれが対応に追われ、まだ会合を持てずにいる。そごうの能登次長は「地域の核としての百貨店」に自負を込めた。
「三宮の集積は他を圧倒し、歴史が積み上げた、自然発生的な魅力がある。机上で考えた人工の街ではない。人が通り、待ち合わせする場所に喫茶店ができ、店ができた。復興では器がそろっても中身が問われる。時間がかかるが、神戸というイメージを発信する内容にしなければ」
1995/9/8