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(1)第1号を目指す テナント集め「時間と勝負」
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不透明なビル需要
 震災から七カ月を過ぎた二十三日。神戸・ハーバーランドで、月に一度の神戸市景観形成アドバイザー会議が開かれた。

 同会議は、市街地の主要ポイントに計画された建築物の外観などを、有識者と施主が協議する。市側の注文に「それは尊重します」と施主側。「完成は地震から二年後の一月十七日。インパクトあるオープンにしたい」と力を込めた。

 鹿島が請け負った「三神ビル」は、解体オフィスビルとして初めて、全面建て替えの一歩を踏み出した。

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 通称「鹿島村」。阪急三宮駅からセンター街を通って旧居留地に向かう途中に、そう呼ばれる街区がある。三神ビルは一角に建っていた。ダイエー、阪神銀行、大和証券…。一帯を同社が手がけ、建設が進む市地下駐車場にも社名がみえる。

 「工事が工事を呼ぶ」と、建設業界は言う。一つの工事で付近の地質、地下埋設物を熟知した社は、次の工事でも有利な立場に立つ。竹中工務店、大林組など関西系ゼネコンが実績を伸ばす神戸・三宮で、「鹿島村」の初期の母体となったのが三神ビルだった。

 一九六四年、八階建てビルは、当時最先端の耐震構造を採用した。ビルとともに、三宮のビルディング業界を生きてきたオーナーの中村榮男社長(64)は、震災で激しい揺れを感じた直後も「うちのビルは生き延びた」と思ったという。

 ビルに駆け付けると、エレベーターが動いた。わずか十五ミリの傾斜で自動停止する仕組みは「ビルの垂直」を証明していた。だが、構造検査の結論は修繕不能。壁をめくった裏で鉄板の破断、裂断が見つかった。

 建て替えやむなし、と決断したのは三月に入ってから。再び建設を依頼した鹿島との合意事項は「第一号を目指す」である。

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 不動産情報の生駒データサービスシステムによると、七月現在、三宮で解体が必要なビル六十二棟のうち、建て替え計画がともかくも前に進んでいるのは十九棟。見通しが立たないビルは七割に上る。

 「商業地の地価が低迷し、建て替え資金のめどが立たない上、オフィスなどテナント需要の見通しがつかないのが大きな理由」と同社は分析する。

 オフィスビル業界で地元最大手、三宮の三棟が解体となった森本倉庫も「計画は立っていない。オフィス事情もこちらが教えてほしいくらい」という。

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 そんな不透明な中、中村社長は「時間との勝負だ」と話す。

 「港をバックに船会社や商社、造船、鉄鋼に支えられた神戸経済は戦前、戦後を通じ『支店経済』レベルで発展してきた。しかし、テナントの動向を見る限り、その後は地盤沈下の一方。『営業所経済』を経て、震災前は『出張所経済』になっていた」

 東京、大阪への機能集中は、神戸経済の空洞化を生む。ビル業界から、様変わりを見てきた目は「一挙に地域経済が盛り返し、オフィス需要がわき出てくることはない。震災前に戻るだけでも十五年」とみる。

 「だからこそ」と同社長は言う。「一日も早く最新ビルを立ち上げた方が、いいテナントを集められる。早いもの勝ちだ」

 建て替えの様子見が広がる神戸で、緒に就いた「立ち上げ競争」。NTTの関連会社・NTT関西建物も、三宮駅東で大規模オフィスビルの建設に着手した。九七年一月、十三階建て、延べ一万八千平方メートルのビルが完成する。

 「本来なら、もう少しオフィス需要を見極めての着手が本当でしょう。そういう意味ではイチかバチかの感じです」と宮本洋二営業部長。盆明けには、テナント探しの営業部隊を神戸に送り込んだ。

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 史上例のない規模の都市直下型地震は、神戸の都心・三宮を壊滅的な状態に追い込んだ。本格的に再建が進み出したビルはまだわずか。オフィス街も、ショッピング街も、飲食街も再生を模索している。「復興へ」第5部は、都心の現状と再生の課題を探りたい。

1995/8/24
 

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