「思い出したくない」
夫と二人の子どもを失い、一人になった女性(21)は、ただ一言答えた。
タンカー乗りの父を亡くした女性(30)は「また航海に出掛けたようで。いつか戻ってくるような気がする」と、海辺の町で語った。
妻に先立たれた畳製造業者(63)は「建て直しが増えて商売が忙しく、悲しむ暇がない」と、仕事に打ち込んでいた。
あまりにも多くの死があった。
連載に当たって遺族らを取材した。大半が近くで肉親を亡くした人たちだ。家も失った。無念さ、今も信じられない気持ち、天災とあきらめるしかない思い…。言葉はさまざまだが、傷の深さがうかがえた。
地震は自然現象だが、文明がなければ大きな震災はないといわれる。六千三百人を超えた死者。直接死の八割以上は、住宅が凶器になった。なぜ、「圧死」がこれほどの数に上ったのか。強い地震であることは間違いない。しかし、犠牲はやむを得なかったのか。
そんな疑問が取材の出発点だった。「なぜ」の答えは十分に見つかったとはいえないが、多くの問題点が浮かび上がった。人災と思わずにいられない側面があった。
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多数の犠牲が出た原因について「答えはある意味で非常に簡単だ」と室崎益輝・神戸大教授(都市防災)は話した。「油断だ。地震が来ないと思って防災に金をかけなかった」。
十万棟以上の全壊。木造住宅の倒壊が目立ったが、木造の構造を専門とする学者は少なかった。今回、取材した坂本功・東大教授、鈴木有・金沢工業大教授など数えるほどで、関西には一人もいない。
「研究者も超高層など、派手な分野を専門にする。新しい研究には予算もつく。地味だが、大切な分野には金がかけられない。生活に密着した部分がおろそかになっていた。豊かな国なのに、庶民の住宅は粗末だった」と室崎教授。
「途上国型」災害といわれる圧倒的な即死、安全性を置き去りにした高度成長期のものづくり、構造的な欠陥を生んだミニ開発・狭小住宅、危険性が分かっていながら都市に大量に残っていた老朽住宅…。
「圧死」をたどっていくと、この国の社会のゆがんだ姿が見えてきた。
十九日、神戸で開かれたシンポジウム。「わが家の安全」をテーマにした分科会で、中小工務店の協同組合代表はこう話した。
「古い住宅は、傾いても死なせないようにするのが課題だ。寝室など居住の場の安全を高めたい。壁に構造用合板を張るなどの方法が考えられる。もっとユーザーとの接点を持ち、アドバイスをしたい」
命だけは助かるようにしたい・。取材で痛感した。どんな地震にも耐える家は難しいだろうが、命を守ることはできるはずだ。
シリーズの中で指摘した施工の管理や検査の強化、住宅を購入する消費者の意識改革などは欠かせない。また、耐震性など家屋の診断、補強への手厚い公的補助は、他の災害に備えるためにも必要だ。
坂本教授は「日本の文化は人の命を大切にしてこなかった」と語った。そうであるなら、被災地から命を大切にする文化を育てていかなければならない。生き残った者に突き付けられた課題と思う。
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「震災のことは忘れたい」の声も聞く。しかし、多くの「忘れ物」が、今回の悲劇を生んだのではないだろうか。教訓を生かす動きはまだ鈍い。このままでは同じ惨事がきっと繰り返される。
こんな言葉がある。「メメント・モリ」。ラテン語で「死を忘れるな」の意味という。
多くの犠牲を忘れてはならない。油断すれば再び死が訪れる。
(記事・桜間 裕章、小日向 務、岸本 達也)
=おわり=
1995/1/26