「心配していた通り」
震災から数日後、惨状生々しい西宮から神戸を歩いた北山康子さんは、暗たんとした気分に襲われた。国産材住宅推進協会(大阪市)理事長代行の肩書を持つ北山さんは、約二十年前、建築士らと欠陥住宅の追放運動に取り組んだ。
腐った土台をさらして横倒しになったり、柱の接合部がもぎ取られて倒壊していた。広い玄関、きれいな外観、窓の大きいリビング…。倒壊した比較的新しい残がいがとどめるイメージは、明らかに高度成長期に建てられた家の特徴だった。耳ざわりのいいPRのかげで、安全性は二の次とされていたのではないか・北山さんは思った。
「建設材がきちんと接合されていない、軟弱地盤なのにいい加減な基礎しか打っていない。当時、そんな家が少なくなかった。でも消費者も意外なほど安全に対する意識は薄かった」。北山さんの声は沈んだ。
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高度成長期の家の問題を指摘する専門家は少なくない。
「調査では、被害の大きい住宅は一九六二年から八五年ごろまでの建て売りに多かった」と話すのは、近畿大学理工学部の村上雅英講師だ。
村上講師は、建築士らでつくる新日本建築家協会員や関西建築家ボランティアとともに、神戸市東灘区西部で木造住宅約二千戸を全戸調査した。なぜ、高度成長期以降の住宅に被害が大きかったのか。村上講師は問題点を二つ指摘した。
「建築面積の狭さがある。都心では、一つの敷地を分割して分譲するミニ開発が主流になっていた」
老朽化にはまだ早い一九七五~八五年に建てられた住宅の分析データを示しながら、説明は続いた。
建築面積が四十平方メートル以下では四割が倒壊、さらに四割で柱が折れる、基礎が崩壊するなど致命的な被害を受けた。四十平方メートルから百二十平方メートルの範囲では、面積が広くなるにしたがって被害が減少する。建物の面積と被害の関係がくっきり浮かび上がった。
村上講師によると、狭い敷地を目いっぱい使おうとするあまり、隣家と軒が接するようになりやすい。道路に面した壁に玄関や採光窓をつくらざるを得なくなり、強度を保つのに欠かせない筋交いの入った壁をとる余裕がなくなる。見栄えは保たれるが、安全性はおろそかになる・。
村上講師は「狭い住居部分がつらなる文化住宅や、一階が店舗になった住宅も同じことがいえる」とし、高度成長期という時代的な背景を挙げた。
「安い住宅が大量に造られたが、都心の建て売りは不特定多数が相手。顔見知りの家を建てる地方と違い、手抜きを生みやすかったのだろう」
二十年前の北山さんらの取り組みも、一つは消費者へのアピールが狙いだった。だが、どれほどの人がそのことを意識していたか。
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神戸市東灘区のタクシー運転手(42)は、震災で母親を亡くした。駆け付けると、文化住宅の一階がつぶれ、二階が地面に直接立っているように見えた。六畳と三畳の二間。玄関の横に居間の窓があり、正面に壁はなかった。
家賃が手ごろで立地が良かったから住まいに選んだ。「地震が起きるとは思っておらず、安全かどうかほとんど考えたこともなかった」と言う。
専門家の指摘と実際とのずれ。
北山さんは「見栄えにとらわれてはだめ。安全性や本当の快適さを優先するような社会の意識改革が必要。地震を、今度こそ教訓にしなければ」と話した。
1996/1/20