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(1)一瞬の別れ 多過ぎる…募る疑問
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 この一年、新井本哲夫さん(47)一家のメニューからすき焼きと焼き肉が消えた。以前はよく家族五人で料理を囲んだ。団らんの光景を思い出すのがつらく、食べることはなくなった。

 西宮市甲風園にあった木造二階建ては、古い借り上げ社宅だった。震災前夜、甘えん坊の龍馬君=当時(11)=は、妻(44)の布団に潜り込んできた。新井本さんを含め三人が一階の同じ部屋に寝ていた。

 家は一瞬に崩れ、梁(はり)が落ちてきた。新井本さんは一時間半後に脱出、二階にいた長女(20)、長男(17)も無事だった。近所の人が掘削機械を借りてきて屋根を除き、妻が救助された。龍馬君が出てきたのは六時間後だった。

 体はまだ温かく感じた。病院で心臓マッサージを頼んだ。妻は「早く起きなさい」と叫んだ。「圧死」といわれたが、きれいな顔だった。

 「自分の部屋で寝ていれば」と話すことは今もタブーだ。「あの子が梁を支えてくれた。私たちを助けてくれた」と思っている。

 損保会社員の新井本さんは、三年前に甲府から神戸に転勤した。「もう地震の心配はない」と、以前は入っていた地震保険を外した。今になって思えば甲府の家は地震に強そうだった。

 「備えがなかった。職業を考えると恥ずかしい」。ふっきりたいが、ふっきれない。

    ◆

 神戸市東灘区本庄町の山本和子さん(47)の自宅は間もなく再建される。「夫も自分の家を持ちたかっただろう」と、申し訳ない気持ちになる。

 地質調査で昔は田や沼だった土地と分かった。基礎はしっかりと造ってもらった。

 一家は和子さんの両親が買った家に住んでいた。和子さんと夫の嘉嗣さん=当時(48)=は一階に寝ていた。「地震よ」と叫んでも隣の夫は起きなかったが、眠っていると思った。アルバイト先から駆け付けた長男(23)とともに、タンスや天井の下敷きになった夫を病院に運んだ。

 やはり、「圧死」だった。傷はなく、気絶しているとしか思えなかった。

 十五年前、和子さんの両親が同居することになり、二階を増築した。福井地震を経験した父は、鉄骨造りを望んだが、業者に「木の柱で大丈夫」と言われたのを、思い出す。

 十七日が間もなく訪れる。「その日にこだわりはない。私たちにとっては毎日が十七日なんです」。和子さんはそう話した。

    ◆

 阪神大震災の死者は、病気などによる関連死を含めて六千三百八人。昨年十二月、厚生省は震災で直接亡くなった五千四百八十八人のうちの七七%が「窒息・圧死」と発表した。住宅の倒壊が多くの死を生んだ。

 同十一月、同省の初期救急医療研究班は、震災後、挫滅症候群(クラッシュシンドローム)など、外傷で入院した患者約二千五百人のうち、死亡は百五人、約四%と発表した。重症患者のほとんどを把握した調査だった。

 その割合の極端な低さは当時、あまり注目されなかったが、今回の震災の特徴を示していた。「圧死」の多くは病院にたどり着くことさえできずに亡くなっていた。

 病院関係者は「予想以上に重傷患者は来なかった。なぜ、圧倒的に即死か、助かるか、に分かれたのか疑問が残る」と指摘した。

    ◆

 「天災」とあきらめるしかないと思う遺族は少なくない。だが、そうなのか。「強い地震」「倒壊」「圧死」の構図は、本当に仕方がなかったのか。被災地を覆った大量の死には、腑(ふ)に落ちないものが多い。「圧死」をあらためて追った。

<阪神大震災の死因別死者数>
(関連死は含まず)
窒息・圧死4224人
焼死・熱傷504人
頭・けい部損傷282人
内臓損傷98人
外傷性ショック68人
全身挫滅45人
挫滅症候群15人
その他128人
不詳124人
総数5488人
(厚生省人口動態統計から)

1996/1/11
 

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