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(2)検案書は語る 短時間の窒息死が大半
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 「圧死」「圧迫死」…。死亡場所「自宅」。

 遺体の検案書。膨大な死の記録には同じような文字が並ぶ。

 なぜ、震災で直接五千五百人もの命が失われたのか。疑問を解くため、死因を調べた監察医を訪ねた。

 神戸大医学部法医学教室。年末年始も休みなしの部屋は、夜遅くなってもこうこうと明かりがついていた。

 こんな記述も多い。直接死因「窒息」、その原因「胸腹部圧迫」、その原因「家屋の倒壊」。

 「圧死は、正確にいえば大部分が窒息死だった」。セーター姿で現れた兵庫県医務課の監察医、西村明儒(あきよし)さん(34)は説明を始めた。

 胸のあたりが圧迫されると呼吸運動ができなくなる。腹の部分が押されると横隔膜が下りなくなり、呼吸はできない。上から力がかかり、胸の動きを封じられたことが死につながった。

 「死因は一目で分かりました」

 損傷は予想以上に少なかった。圧迫された胸や腹の部分は白く、顔がうっ血して紫色になっていた。就寝中で、布団がクッションの役割を果たしたこともあり、傷は少ない。しかし、外に出ていたはずの顔もすり傷の出血はあまりなかった。そんな遺体が目立った。

 「解剖もほとんどできなかったので正確には分からないが、加わった力は意外に軽かったのではないか」。労災や交通事故の遺体もみているが、そうした圧死に比べ、損傷の少なさが印象に残ったという。

 そして、気になる指摘をした。「大部分が短時間の死亡だったことは間違いない」

 監察医らは検案書を詳しく分析した。監察医が検案した神戸市内の死者約二千四百人の死亡時間は、午前六時まで、つまり震災から十四分以内が約二千二百人と、九二%を占めた。

 呼吸ができなくなると五分以内、長くても十数分で死に至るという。

    ◆

 震災後、救出活動の遅れが問題となった。「もう少し早く救助していたら」の思いをもった人は少なくない。しかし、犠牲者の多くが直後に死亡したとすれば、救助が早くても救うのは難しかったことになる。

 同じ監察医で同大法医学教室の上野易弘助教授も「短時間の死亡が圧倒的に多かった」と述べ、慎重に付け加えた。

 「救出が早ければ救えた人もいただろうが、残念ながら割合では少ない。ただ八%としても五千五百人のうちなら四百四十人になる。一人の命も救わなければならない医師の立場からすれば掛け替えのない命だ」

 わずかでも息ができる状態はなかったのだろうか。重ねて聞いた。

 「窒息の場合、ほとんど考えられない。内臓損傷なら出血が少ない時期に救出すれば助かるケースはあるが」。上野助教授は事実は動かないとした。

 家が倒壊し、直後の窒息死・。検案書はそんな死がほとんどだったことを物語る。一般にはあまり知られていない形の窒息は、凶器となった家の存在をよりクローズアップさせた。一方、遺体の状況から「もう少しだけ優しい壊れ方をしていれば」と思わずにいられない。

 死因のこれだけ詳しい分析は前例がないという。過去の地震では分析は行われなかったのだろうか。

 消防庁も警察庁も「そんな資料はない」と答えた。死亡の原因が建物の倒壊か、火災か、津波かでさえ知りようがなかった。

 「死」は忘れられていた。

<阪神大震災の日時別死者数>
(神戸市内の監察医検案分)
【1月17日】
6時まで2221人
12時まで63人
24時まで12人
時刻不詳110人
【1月18日】5人
【1月20日以降】5人

1996/1/12
 

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