「伝統和風という文化をとるか、現代社会の要求に応じた安全をとるか」
「日本の文化は人の命を大切にする文化ではなかった。地震がきて、建物が倒壊したら、その下敷きになって死んでもしょうがないということだった」
坂本功・東大教授の発言が論議を呼んでいる。建築家向けの雑誌に書き、講演会などでも同じ内容を話した。
木造建築の耐震工学では第一人者。今回、建設省の建築震災調査委員会委員を務め、これまでも国から専門家として意見を求められる機会は少なくなかった。そうした立場だけに思い切った発言は波紋を投じた。
「あまりにも極論だ。住宅は工場で造れということになりかねない」。関西の研究者などから批判の声も上がる。
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真意を聞くため、キャンパスを訪ねた。
「問題提起のつもりだが、それぐらい深刻だ。伝統的文化を生かし、耐震性をもつことは容易でない」。反発は覚悟の上という。
「昔の建て方が地震に弱いことは百年前から分かっていた」とし、英国の建築家コンドルの名前を挙げた。
工部大学校造家学科(現在の東大建築学科)の初代教授。死者七千人以上に及んだ一八九一年(明治二十四年)の濃尾地震後の報告会で次のように述べたという。
「日本の建物は、地震に対して揺れて耐えるといわれているが、そんなことはない。接合部がしっかりと留められていないためにつぶれた」
濃尾地震での住宅建設の教訓は、地盤のよい所を選ぶ、基礎をしっかり造る、筋交いを入れる、接合部分を金物でしっかり留める・だった。そして、コンドルの弟子たちの提唱で、「在来木造」にも洋式構造にならって筋交いなどが取り入れられるようになった。「在来」とはいえ洋風の影響を強く受けたのが木造住宅の歴史だった。
しかし、教訓は百年たっても十分には生かされていなかった。阪神大震災後に指摘されたのは濃尾地震のときと同じ問題点だった。
耐震性について繰り返し警鐘を鳴らしてきた坂本教授は、命を守るためにはあえて挑発的な言い方をするしかないと思っている。
「木造のファンは、日本の伝統的建物が、地震被害の教訓を生かして耐震的になってきたと思い込んでいた。災害がないときには何を言っても聞いてはもらえなかった。伝統的大工の巧妙な細工は文化的に優れていても、地震には優れていない」
伝統的建物で耐震的なのは城や五重塔など例外しかないといい、和風の構法と様式は一体のものだとした。窓を少なくし、壁を増やせば強くなるが、それでは開放的な和風の住宅にはならない。ほどほどの壁で襖(ふすま)や障子を使うのが和風の様式だ。
阪神大震災では、庶民的な住宅ばかりでなく、そんな伝統和風のお屋敷も大きな被害を受けているのを坂本教授は目の当たりにした。
別の耐震工学の専門家は「安全か、文化かの二者択一ではなく、そのバランスを考えるべきだろう」と話した。実は坂本教授も二者択一しかないとは思っていないという。しかし「それぐらいの深刻な認識が必要」と繰り返した。教訓を生かすことの困難さを身に染みて感じている。
東大工学部の建物を出ると、近くに青銅像がひっそりと立っていた。それがコンドルの像だった。
1996/1/16