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(5)神話崩壊 惨劇生んだ「木造」過信
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 住宅が倒壊し、一瞬のうちに命が奪われた。死因の分析では、強い地震に対してあまりにもろかった住宅の姿が鮮明になった。

 しかし、木造住宅の倒壊が大量死に結び付くとは専門家でさえ予想していなかった。

 「戦後の地震では人を殺すような壊れ方をしたのはまれだった。造成地で地盤が崩れるような場合しかなかったのではないか。研究者も現場の職人もこんな被害は想定していなかった」

 金沢工業大の鈴木有教授は、その衝撃について率直な感想を漏らした。被災地で見た生々しい光景は今も頭から離れない。

 全国で十人以下しかいないといわれる木構造の研究者。震災後は研究室に腰を落ち着ける暇もない忙しさになった。耐震工学の中でも、以前は地味とみられていた分野が突如、脚光を浴びた。

 皮肉なことに、鈴木教授はこんなタイトルの論文を発表していた。

<木造住宅の地震被害が軽微に済んだのはなぜか>

 京都大学防災研究所の藤原悌三教授(耐震構造)らとともに一昨年十二月、東京のシンポジウムで発表した。一カ月後、阪神大震災が起こった。

 論文は、一九九三年一月の釧路沖地震の調査結果をまとめた。マグニチュード(M)7・8、釧路で震度6。最近ではかなり強い地震だったが、全壊家屋五十三棟と、被害はあまり大きくなかった。

 その原因を調べると、地震に強い木造家屋の構造が浮かび上がった。寒冷地のため地盤凍結に備えて、基礎は深い。防寒を考えて窓が小さくて壁が多い。屋根は鉄板で軽かった。

 釧路の家は、耐震性の問題が指摘された阪神間の家とは正反対の特徴を持っていた。

 この時、図面で関西の住宅との比較も行っていた。「いまさら言っても仕方がないが、関西の家は地震に弱いだろうと、心配はしていた」と藤原教授。関西で地震が起こる可能性があることも聞いていた。しかし、こんなに早くやって来るとはさすがに思っていなかった。

    ◆

 阪神大震災以前、一般的には「木造の家は地震に強い」との思い込みがあったという。家屋が倒壊し、多数の犠牲者が出る地震は長期間なく、そんな「神話」が出来上がっていた。

 新潟地震(一九六四年)では地盤の液状化、十勝沖地震(六八年)では石油ストーブの転倒、宮城県沖地震(七八年)ではブロック塀の倒壊が問題になった。

 しかし、木造住宅が倒壊し、多数の死者が出たのは終戦直後の福井地震(四八年)までさかのぼる。津波を除けば百人を超える死者の地震はなかった。

 「戦後の経済成長と技術革新は、伝統型の大震災を克服した、との思い込みが一般的になっていた。しかし、日本の巨大都市はそれを克服してはいなかった」

 鈴木教授は研究者としての無念さをにじませながら話した。「伝統型」の震災とは、多数の家屋の倒壊、大火の発生、大量の犠牲者を指す。関東大震災など、日本はそれを繰り返し経験してきた。

 終戦直後を除けば戦後の五十年、結果的に耐震性の強い家がある北海道や東北の地方都市で地震が起きた。最大震度は6で、直下型は少なかった。

 地震研究の中でも木造住宅の倒壊はあまり目が向けられていなかった。そんな被害は過去のものになった、との幻想がこの国を覆っていた。

「戦後の主な地震被害」

【死者】【全壊】
南海地震(1946年12月)1,43211,591
福井地震(48年6月)3,84835,420
十勝地震(52年3月)33815
新潟地震(64年6月)261,960
十勝沖地震(68年5月)52673
伊豆半島沖地震(74年5月)30134
伊豆大島近海地震(78年1月)2594
宮城県沖地震(78年6月)281,383
日本海中部地震(83年5月)1041,584
長野県西部地震(84年9月)2914
北海道南西沖地震(93年7月)202601
阪神・淡路大震災(95年1月)6,308100,302
(注)消防庁調べ、阪神・淡路大震災は昨年12月27日現在

1996/1/15
 

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