「みなさんのためを思って建物を残していたんです。それが裏目に出たのでしょうか」
神奈川県に住む家主の女性(57)の思いは複雑だった。
神戸市長田区にあった二階建ての五軒長屋。材木商の祖父が大正十年に建てた。築七十四年。戦災にも残った。家賃一万八千円。強い揺れに、老朽長屋はひとたまりもなかった。さらに、火が襲い、二人のお年寄りが亡くなった。
十数年前、地域のまちづくりの一環で建て替えの話もあった。「入居者は、家賃が上がる、と反対した。五百円上げるのも大変でした」。
借家人の多くは親の代から住み続け、平均年齢は六十歳を超える。高い家賃は払えなかった。低家賃の住宅を残すことが、家主の”誠意”と思ってきた。
女性家主には三人の姉がいて、それぞれに古い長屋を相続していた。長田に加え、須磨区二カ所、東灘区一カ所。すべて震災で倒壊した。
古い借家は、入居者も家主も高齢者が多く、ともに弱い立場だ。建て替えはなかなか実現しない。低家賃の代償は、危険な住宅に住むことになっていた。
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老朽住宅の解消について行政はどう対応していたのだろうか。
「努力はしてきたが、改善を進めるのは容易ではない」と神戸市住環境整備課は説明した。
密集住宅市街地整備事業という補助制度がある。神戸市は九地域を指定し、まちづくりの中で、建て替えを進めてきた。しかし、地域内四万八千戸のうち、事業で建て替えが実現したのは百七十戸にとどまる。
補助は、共用の廊下などに限られ、建設費の一五%程度。高齢の家主らにとって、手厚いとはとてもいえない。当事者に積極的な建て替えの意思がいるが、家主と借家人の関係に加え、住民の意見が合わないこともある。
「強制できるものではない。個人の住宅には介入しにくい。結局、それぞれが考えていくものだ」
兵庫県市街地整備課は「制度そのものに限界がある」と言った。
借家人の負担を減らして建て替えを進めるため、五年前に国の家賃対策補助制度ができた。建て替え後の家賃上昇分について入居者、家主、行政が三分の一ずつ負担する。家主から「なぜ、家賃を負担しないといけないのか」の声もあり、兵庫県内での活用は一件もない。
建て替えの制度にしても「個人の住宅は個人の問題」の考えが基本にあり、踏み込んだ公的補助は行わない。県は「住宅政策そのものにかかわる問題なので、国政レベルに働き掛けるしかない」という。
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「倒壊・圧死を防ぐためには、今ある家を安全にする。それが震災で得られた防災の最大の教訓ではなかったのか。しかし、取り組みは進んでいない」
早川和男・神戸大名誉教授(社会環境工学)は首をかしげる。
昨年九月、英国・バーミンガムで住宅修復事業の実態を調査した。公営住宅重視の政策は、サッチャー政権後に後退したといわれるが、住宅修復は引き続き力を注いでいた。構造などに問題のある民間住宅に対して、行政が約百六十万円までの修繕補助をする。都市の住宅は、個人の財産にとどまらず、社会の財産との考えがあるからという。
「終戦直後を除き、日本は持ち家主義を進めてきた。住宅確保は個人のかい性とされ、格差は大きくなった」と早川氏は指摘する。
「震災被害は、戦後住宅政策の総決算だ」
1996/1/22