目の前の被災者をどう救済するか。現行制度で踏み込めない生活再建支援の分野で、実態に合わせた現実施策のひとつが「阪神・淡路大震災復興基金」だった。被災者生活再建支援法に伴い、法適用以前の震災被災地で同様の自立支援金を可能にしたのも、このシステムだった。町並みや道路の復興が進む一方で、「個人補償はできない」とする既存の枠組みのなか、基金は次第に被災者への現金給付に踏み出していった。最終的に六千億円から九千億円に増額され、メニューも拡大し、基準が緩和された基金の変遷は、時間とともに深刻化、多様化する生活再建の難しさを浮き彫りにしている。(敬称略)
■長崎県モデル 不可欠な弾力運営
二十万人余りの被災者が、避難所で余震と寒さに震えていた一九九五年二月初旬。兵庫県庁で、総務部長と職員五人によるプロジェクトチームが発足した。特命事項は「復興基金創設」だった。
「きめ細かく、臨機応変に対応するには基金しかない」。被災者支援に追われながら、知事の貝原俊民は基金の規模や事業内容の取りまとめを指示した。
手本は長崎県にあった。雲仙・普賢岳噴火で設けられた災害対策基金。資料を取り寄せ、震災で使える事業をチェックした。都市部にマッチした「マンション再建」や「ダブルローン対策」なども想定件数をはじいた。総務部次長(現知事公室長)の五百蔵俊彦は「被害額が変わる中で事業の需要額を算定するのが難しかった。国も、本当に必要な額は、と求めてきた」。
仕組みも課題だった。長崎では運用金利が低下する事態となり、金利変動の影響を受けない仕組みが必要だった。財政課副課長(現財政課長)の高井芳朗は、財団法人の基金側が、県と神戸市から無利子で借りた資金で銀行債券を買い、利子を受ける方法をひねり出す。「ウルトラCか、苦し紛れか。ややこしいといわれたがこれしかなかった」
貝原は「自治相の野中さん(現官房長官)が協力してくれた。規模が膨れ、政府もびっくりしたようだ」と振り返る。基金スタートは検討から約二カ月後の九五年四月一日だった。
■個人給付 生活再建 重視へ
二十八事業で始まった基金運用は、延べ百十三事業、三千五百八十九億円になった。被災地の実情に合わせ姿を変えてきたのが特徴だ。最大の節目は九七年三月。六千億から九千億円へ増額され、高齢世帯に最高月額二万五千円を支給する生活再建支援金が実現した。個人給付を拒んできた国の壁を初めて超えた。
兵庫県は支援金の考え方を、前年の九六年六月、連立与党復興プロジェクトチームに持ち込んだ。「個人補償ではない。仮設から恒久住宅に移る被災者を支援したい」と必要性を説いた。副知事の井戸敏三は「個人補償の論議に巻き込まれないよう注意した。そうなれば、検討すらされない」。
支援金の財源には基金の活用を提示した。「国がやるんじゃない。国はバックアップするだけで、基金をつくった地元がやる」という”理屈”が、国を新たな制度に踏み切らせた。「これが前例となったから、被災者自立支援金ができたのだろう」と井戸は言う。
高齢者への生活再建支援金で国は個人給付に踏み込んだが、芽は同じ九六年に始まった公営住宅と民間賃貸住宅の家賃軽減にある。
公営住宅の家賃軽減は、国の補助で家賃を引き下げた。また民間アパートへ入った被災者も対象に、家主へ渡す形で月三万円を限度に補助。最高百四十四万円になる財源はやはり基金だった。
公営住宅の家賃軽減はもともと、震災一年で被災地入りした総理の橋本(当時)が「わかった」と述べたことに始まる。「家賃を下げることは個人給付じゃないか。これができるなら、ほかにもできるだろう・と広がっていった」と貝原は当時の”空気”を説明する。
当初は基金事業費の五%に過ぎなかった被災者の生活対策は今、全体の四五%を占め、計画ベースで千六百四十九億円にのぼる。
■中間層支援 即応体制に疑問も
神戸市 国、県主導にもどかしさ
「復興基金は神戸市独自でつくらせてもらえないか」
震災から間もなく、基金設立に向け被災地と国との協議が進むさなか、神戸市は主張していた。「支援策を考えていくとき、毎回、県と協議していては時間がかかってしまう」。同市幹部は「そんな思いが背景にあった」と振り返る。が、主張は認められず、県内の十市十町を包括する形で兵庫県主導でスタートする。
被災者に近い自治体として、実態に即応した支援を編み出せないもどかしさは、予想通りさまざまな場面で噴出する。象徴的事例として神戸市幹部が振り返るのが、生活再建のための支援金支給だった。
「そもそも中間所得層への支援が乏しい。そこを何とかしなければ・と思っていたが…」。しかし、協議は自治省と県との間で進む。それは「まさにトップシークレットのようだった」。協議が一定段階まで進んで明らかにされたのは「支援金の対象は高齢者に限定する」という内容だった。
「もう少し下の年齢まで」と県にかけ合ったが、だめだった。県の幹部は当時の検討について、「対象や必要額をいく通りか考えながら国と協議を進めた。より困っている人を・と考える中で対象はおのずと絞られていった」と説明する。
神戸市はその後も、中高年層への支援の必要性を訴えたが、そうした対象への「自立支援制度」が実現するまでに、さらに十カ月の月日を要した。
■公費の投入、概算は…
阪神・淡路大震災では、被災者の生活再建にどれだけの公費が投入されたのか・。日本の被災者支援策は仮設住宅や復興公営住宅の提供など「現物支給」が中心で、その実態は見えにくいが、神戸市が各施策から試算した「公的支援モデル」(表)をなぞると、年収や家屋の被害、その後の住宅の変遷などにより、支給額には相当の開きがあることが分かる。
モデルは、現物支給にかかるコストを金額に換算し、税の減免、復興基金による利子補給、民間賃貸住宅の家賃補助など各種の支援策を列挙。ケースにより、年収を七百万円と四百万円の二通りで算出した。
支援金額の総計からは、震災以降かなりの額の支援が行われたことが見える。だが、額に見合った効果を発揮したかどうかは不透明だ。
一方で、ほとんどの支援は住宅の全・半壊、所得、年齢を基準に進められ、支援の網からこぼれる被災者を生んだ。税の減免などは高所得層により手厚く、また各種支援策では低所得層に焦点が絞られ、結果的に中間所得層が支援のはざまに置かれがちだった。モデルには表れていないが、自営の商店や事業所が被害を受けた場合、自宅が壊れた被災者に比べ支援が薄すぎるという指摘もある。
提供までに時間がかかる現物支給の問題点を挙げる声も根強い。金銭支給なら災害から時間を経ず即応できるのに対し、この時間差がその後の再建の遅れにつながったという見方は強く、生活支援のあり方に課題を投げかけている。
1999/7/17