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(1-1)今も貯蓄を切り崩すしか 受けた公的援助、24万円
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 「九六年三月」と書いた取材ノートをめくってみる。震災から約一年。半壊の賃貸マンションに住む夫婦二人暮らしの主婦(56)に、家計簿の変化を聞いたときのメモがある。
 「次のステップが踏み出せない」
 その日から三年あまり。同じ人から、同じ言葉を再び聞いた。
 神戸市東灘区に建つマンションは補修され、外観は美しくなっていた。玄関を抜け、居間に通されると、主婦は苦笑した。
 「何も変わってないでしょう」
 穴のあいた整理ダンスも、もらい物の古びた電子レンジも、当時のまま。レンジから、コードが垂れている。「電気代の節約で、いつもコンセントは抜いてるんです」。そう言って、コードの先をつまみ上げた。

 

 彼女と出会ったのは、家計簿をつけている主婦グループが開いた「震災展」の準備会場だった。

 避難所にも、仮設住宅にも、復興住宅にも縁のない被災者。仮設が中心になりがちな「震災取材」では、出会いにくい人。それはまた、「支援の網からこぼれ落ちた層」とも重なる。

 震災で夫(59)は足に大けがをし、入院した。大阪にマンションを借り、約三カ月間の避難生活。仮設には落選した。

 夫は震災の直前、独立するため、建築関係の会社を辞めた。退職金は事務所開設の準備に充てた。しかし、計画は破たん。老後の人生設計さえも崩れ始めた。

 夫は昨年、救急車で運ばれた。けがや職探しのストレスが、じわじわとのしかかった。週に三回、人工透析に通う日々が続く。

 

 昨年一年間の家計簿の決算が、B4一枚の紙に几帳面(きちょうめん)にまとめられていた。

 生活費は月平均二十八万円。約半分が家賃だ。震災前は、社宅として借り上げてもらっていたが、今は全額負担。確かに、高すぎると思う。しかし、引っ越し経費、敷金、夫の通院などを考えると、今はここにとどまるしかない。「次は市営住宅に移るしかない」と、申し込み続けている。

 決算表に書かれた月平均額に、苦しいやりくりが見てとれる。

 食費 四万円
 光熱費 五千九百円
 衣服費 五千六百円
 住居家具費 十四万円
 保健衛生費 五万円
 震災の前年と比較した割合は
 食費 七二%
 光熱費 六〇%
 衣服費 三二%
 住居家具費 二六二%
 保健衛生費 二〇四%

 「住・医」の負担が「食・衣」を圧迫する。
 マンションの清掃などでわずかな収入はあるが、貯蓄を切り崩して生活を支える。

 震災後、夫婦が手にした公的な支援のお金は、半壊世帯への義援金、県と市の見舞金、重傷者見舞金あわせて二十四万二千円。一カ月の生活費にも満たない。

 昨年の「被災者生活再建支援法」成立後に支払われた「自立支援金」も、半壊マンションに住み続ける夫婦には関係なかった。

 「高齢者でないけれど、仕事がない。ローンを組める年齢でもない。役所に行くたび、『あなたのような人はたくさんいるけど、規則やから』と」

 夫婦を取材した三年前、私たちは、自助努力で立ち上がろうとする人々の前に立ちはだかる壁を強く感じた。「住専処理」で、国会が揺れていたころだった。

 あれから、「自立への壁」はさらに高くなったように見える。

    ◆

 「震災からのメッセージ」は今回、問われ続ける被災者への資金支援を考えてみたい。

1999/7/17
 

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