神戸市灘区に住むパート女性(44)に、震災後振り込まれた支援資金を通帳から拾い上げてもらった。
■一九九五年
第一次義援金(全壊見舞金)…十万円▽神戸市・兵庫県災害見舞金(全壊)…十四万円
■一九九六年
第二次義援金(民間賃貸住宅入居助成)…三十万円
第三次義援金(生活支援金)…十万円
■一九九七年
第三次義援金(生活支援金の追加)…五万円
■一九九八年
被災者自立支援金…百万円
計百六十九万円。ほかに、家賃補助や子供の授業料免除などの支援もある。
すべて合わせると、まとまった額には見える。しかし、どこに消えたか、よく分からない。支援金百万円は、借金の返済に充てた。残りは、その時々の生活費に消えたのだろう。
震災前、同じ灘区のマンションに二十年近く住んでいた。新築を約千八百万円で買った。ローンの返済は月八万円ほど。年収約六百万円。ぜいたくな暮らしではなかったが、休日などは家族で外食する、ささやかなゆとりもあった。
そのマンションは、全壊の判定を受けた。補修か建て替えかで住民の意見が割れ、今も係争中だ。中堅所得者向けに家賃補助がある特定優良賃貸住宅(特優賃)に移ったが、月約九万円の支払いは滞りがち。夫(45)の勤務する運送会社が被災し、給料がたびたび遅れる。この不況では、運ぶ荷物もない。
年収も約四百万円に落ちた。災害援護資金三百五十万円を借りローンの大部分を清算したものの、将来の返済に不安が残る。壊れたマンションの固定資産税や共益費は確実に出ていく。
支援金の百万円はありがたかった、と実感を込めて話した。
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作家の小田実さんを中心とした市民グループが公的支援を求める声を上げたのは、震災翌年の九六年三月だった。
「失われた個人財産の補償はしない」という政府に対し、「生活基盤の回復のための支援だ」と主張した。
九七年春、私たちは被災地の首長に相次ぎインタビューを申し入れ、公的支援への考えを聞いた。印象的だったのは、芦屋市の北村春江市長の言葉だった。
市長は、完成したばかりの公営住宅を見学したが、被災者支援について考えさせられた、と漏らした。
「公営住宅は建設費だけでなく、修理、管理と、将来もお金がかかる。膨大な経費をつぎ込む割には、支援の効果は薄い。大災害では、初期の段階で被災者にまとまったお金を渡すことを考えるべきだと思う」
「住」をテーマにした先の連載でも、実態に応じた効果的な支援が必要だったと指摘した。生活再建では、特にそれが求められる。
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小田さんらの主張は、昨年の国会で成立した「被災者生活再建支援法」に盛り込まれた。災害被災者の生活再建に、公費が投入されることになった。
しかし、それを制度とするのに三年半の月日が流れた。その長い歳月、被災者の苦しい生活も続いた。
「震災直後に出ていたら、引っ越し代や敷金などに充てられた。金額はともかく、精神的にもっと楽だったと思う」
女性が、言葉をかみしめるように言った。