約千七百九十億円。阪神・淡路大震災で集まった義援金の総額である。
日本では、大災害のたびに義援金が寄せられ、被災者に配分される。一九二三年の関東大震災では、国内外から六千万円以上、雲仙・普賢岳噴火災害(九一年)は約二百三十億円、北海道南西沖地震(九三年)は約二百六十億円が寄せられた。
「日本では、災害救助を義援金に頼るのが伝統。関東大震災でも、公的救助費より義援金の方が多かった」。甲南大の高寄昇三教授は、日本の災害支援の現実を話した。
しかし、全半壊だけで四十万世帯を超える阪神大震災の前では、巨額の義援金もかすんだ。「せめて雲仙や奥尻並みに」「どうして半壊以上にしか配らないのか」。避難所や仮設で、幾度となく耳にした言葉だった。
そうした被災地の声を受け、日本赤十字社は震災の翌年に「義援金問題懇談会」を設置した。日赤の長い歴史からみても、異例のことだった。
東京の日赤本社に、担当の田中豊救護課長を訪ねた。設置の理由は「震災で余りにも多くの意見が出され、一度初心に帰って義援金を考えるべきではないかという声が内部でも出た」。学識者らが六回の会合を重ね、「義援金とは何なのか」という根元的なテーマから話し合った。
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その報告書の第一章「義援金の理念」。「慰謝激励の見舞金の性格を持つ」とし、「一義的には被災者の当面の生活を支えるもの」と位置付けた。
義援金はあくまでも見舞金。「実際、ゼロの可能性もある」と、田中課長が言うように、本来は頼りにされるべき性格のものではないことが分かる。
「理念」はまた、「迅速性、透明性、公平性」という「義援金の三原則」をうたった。が、これには、現実にそぐわないと疑問を抱く人が多い。
義援金の支給基準などを決めた「兵庫県南部地震災害義援金募集委員会」の釜本貞男元会長(当時、県福祉部長)も、その一人。「公平と迅速は両立しない」と、震災の体験から訴える。そもそも「公平」は、義援金総額と被害の全容が把握できなければ成り立たない。公平にこだわれば「迅速性」は欠ける。迅速にこだわれば、「公平性」は失われる、と。
義援金の配分をめぐっては、被災自治体から「義援金を配るのに、なぜ膨大な事務経費を税金で負担しなければならないのか」といった不満も聞かれた。「被災者に全額配分」という大原則を基に、自治体では、大量の臨時職員を雇って事務をこなした経緯がある。
こと義援金に関して、法的な位置づけはなく、何らの指針もなかった。
国の考え方を聞くため、厚生省社会・援護局を訪ねた時だった。
「義援金は民間の善意。行政はああしろ、こうしろと言える立場にない」。回答は、そっけなかった。
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昨年七月、日赤は報告書に沿って「義援金取り扱いのガイドライン」を発表。厚生省を通じて、全国の都道府県に示された。
そこには、寄付者の希望に応じた配分や、多額の義援金が集まった場合に限り、事務経費の一部を義援金の中から負担できること、などが盛り込まれた。
災害の歴史の中で、初めて義援金をめぐる答えが一つ、生まれた。