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(3)弔慰金支給、今も法廷で 死者の定義もあいまいだった
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 訪ねた兵庫県芦屋市内の市営住宅の表札は今も、亡き夫の名前だった。
 出迎えてくれたのは、今年七十二歳になる女性。震災の日に亡くなった夫=当時(75)=の災害弔慰金の不支給決定をめぐって、芦屋市長を相手に提訴した。法廷論争は、最高裁に持ち込まれている。
 壁にかかった遺影を見上げながら、私の問い掛けに答えた。

 夫は震災の前年、市内の病院に入院し、胃の切除手術を受けた。その後、病状が悪化。九五年初めには、集中治療室で人工呼吸器をつけ、医師から「いつ死んでもおかしくない」と言われた。

 そして、一月十七日。揺れが静まった市住の部屋でぼう然としていると、病院に行った知人から「だめだった」と聞かされた。駆けつけると、騒然とした院内の一室で、夫はぽつんとベッドに寝かされていた。

 死亡時刻、十七日午前七時ごろ。地震による停電で呼吸器は停止していた。

 妻は弔慰金の存在を知った時、当然「震災死」に当たると思った。死亡診断書を持って申請の列に並んだが、市職員の答えは「これでは無理」だった。職員は、診断書の「自然死」と書かれた部分を指していた。

 市と病院に何度も検討を求めた。しかし、十カ月後、市の結論は「不支給」。「いつ死んでも…」の病状が、決定に影響した。

 翌年二月、提訴。人工呼吸器は停止したが、その時、夫は自発呼吸していたと、当直医が証言した。
 「夫は生きていた。『震災があってもなくても死んでいた』なんて言われては、浮かばれない」
 小さな体から、静かな声が少し、震えた。

    ◆

 災害による死者の遺族への弔慰金は、七三年に成立した災害弔慰金法で「市町村が支給」と定められている。阪神・淡路大震災では、死者が生計維持者の場合五百万円、それ以外は二百五十万円が支払われた。

 しかし、六千四百人を超える命を奪った大震災は、死者の定義のあいまいさを露呈した。避難所で持病が悪化して死亡したり、ショックから自殺するケースなどがあり、遺族の申請が相次いだ。

 「震災関連死」。新たな言葉も生み、各市町が認定しただけで、九百人を超える。

 芦屋市は他市に先駆け、医師や弁護士らによる「災害弔慰金交付審査会」を設置。七十七人を審査し、四十八人を「震災死」と認めた。「明文化された基準はない。あくまで個々のケースを検討して決める」という。他の被災自治体も、状況は変わらない。

 これでは、大災害のたび、「人の死」という重大な決定基準が市ごとに違う可能性も出てくる。厚生省災害救助対策室に尋ねても、市町村の事務なので自治体によって多少の違いは仕方がない、という答えが返ってきた。

    ◆

 一審の神戸地裁は「死亡と震災の間に相当の因果関係は認められない」と訴えを棄却。二審は「相当な因果関係があったと考えるべき」として弔慰金の支給を認めた。そして今、最高裁で争う。

 大震災で支給された弔慰金は兵庫県内で計約百七十五億円に上る。残された遺族にとっては、国からの貧困な支援を補う緊急的な救済だった。

 「このままでは、慰霊祭にも行く気になれない」
 女性の言葉は、弔慰金一つとっても、あいまいな支援基準の現実を教えてくれる。

1999/7/19
 

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