風と水と土と ひょうごテロワール
午前4時、兵庫県新温泉町の浜坂漁港を訪れた。気温は0度近いが、風はゆるやかで冬の厳しさはない。海面を明るく照らしながら底引き網の漁船が帰ってきた。次々荷揚げされる発泡スチロールのトロ箱には、日本海で取れたホタルイカがぎっしり。そこに、新鮮な浜坂産を示す「浜ほたる」のブランドと船名を記した紙が差し込まれていく。テロワールの視点で兵庫の多彩な特産物を深く知る連載の第7回は、但馬の春の風物詩となった水揚げ日本一のホタルイカを取り上げる。(辻本一好)
■きっかけは富山の不漁
青白い光を放ち「海の宝石」と呼ばれるホタルイカは、富山県産の知名度が圧倒的に高い。身が大きく、高級品として扱われる。一方、スーパーの売り場に並び、酢みそあえなど手軽な晩酌の友として味わえるのは、兵庫県産が多い。
兵庫が全国で最も漁獲が多いことは、地元でもあまり知られていない。本格的な漁獲が始まったのは三十数年前のことだ。なぜ、これほど漁が盛んになったのか。きっかけは富山湾での不漁だったらしい。
兵庫県但馬水産技術センターによると、1984年4月、豊岡市の津居山漁港の底引き網漁業者が小さなイカを水揚げした。当時はホタルイカという名前も知られていなかったそうだが、情報を聞きつけた富山県の仲買人や加工業者が仕入れた。以来、但馬の漁業者の関心が一気に高まる。
■日本一の漁獲量
今では津居山のほか、兵庫県香美町の柴山、香住、新温泉町の浜坂、諸寄の漁業者にとって、マツバガニの漁期が終わる3月から5月の中心的な魚種となっている。同センター主席研究員の大谷徹也さんは、兵庫が漁獲日本一になった主な理由を三つ挙げた。
一つ目は、但馬には香住を中心に水産加工業者が多いこと。新鮮なうちにゆであげる設備や冷凍する技術は、鮮度が落ちやすいホタルイカをおいしく味わうために欠かせない。二つ目は専用の網や漁法が開発されたこと、三つ目は豊富な資源量という。
「まだまだ謎が多いのですが、生息域の中心はこの但馬沖などの山陰なのではないか、と思っています」。大谷さんは日本海の構造について説明を始めた。
■暖流と冷水の間を泳ぐ
図1は、深い風呂桶のような日本海を輪切りにしたイメージ図で、最大水深は約3800メートルもある。大半は水温1度以下の冷たい海水だ。一方、海面近くには暖かい対馬暖流が流れている。ホタルイカは、その間の水深180~240メートルを遊泳しているそうだ。
春になると、産卵のために日本列島に近い浅い海に移動し、このときに漁獲される。図2の黄色の部分は、兵庫の底引き網漁船の漁場を示す。深い海と浅い海の境目が山陰沖にたくさんあることが分かる。
資源量に恵まれた新しい食材を地域の特産に高めた地元の取り組みも、漁獲日本一の要因として忘れてはならない。
20年前に取材で訪れた際、女性たちが調理法や加工品づくりに試行錯誤していたのを思い出す。課題は大きい目の処理だった。ゆでると固くなり、歯の間にはさまってしまう。
解決策として2004年、但馬水産技術センターの森俊郎さんが開発したのが「目玉除去機」だ。洗濯機のようなもので、回転式の水流に投入すると「1回に8キロ分を3分で処理できる」という。
■凍結処理で刺し身も
産地では今も付加価値を高める取り組みが続く。水揚げ日本一の浜坂漁協ではプロトン凍結という手法で細胞の破壊を防ぎ、鮮度とおいしさを損なわない「浜ほたる」を直販している。
ホタルイカはサバなどと同様、内臓に寄生虫がいるので通常は生で食べられないが、零下40度以下で40分以上凍結処理すれば刺し身も楽しめる。組合長の川越一男さんは「暖かくなって漁獲量が増えてきた。生の風味も味わってほしい」とアピールする。
おすすめは釜揚げ。沸騰したお湯に30秒以上入れて、ふっくら紅色になれば食べごろだ。まずは何も味付けせずに、甘味とうま味を楽しみたい。
浜坂名物の「ほたるいか祭り」は中止となったが、4月3、10日に「日曜ほたるいか朝市」を開く計画だ。香美町でも、町内の6飲食店で料理イベントの開催を予定している。
ホタルイカは日本海側や北海道沿岸など、意外に多くの分布域が確認されており、各地で特産化を進める動きがある。だが、兵庫ほど発展したところはない。
特産物は昔からあったわけではない。何かのきっかけで誰かが始め、地域の人々の情熱によって育まれる。それが持続可能な形であれば、世代を超えて続いていく。兵庫のホタルイカをめぐる人と自然の営みは、テロワールと食文化のストーリーの原型を同時代で体験させてくれる。
【テロワール】ワインの業界でよく使われ、味や香りを決めるさまざまな自然環境を示すフランス語。具体的には原料となるブドウ畑の土壌や気候のほか、農家や醸造職人の技術も含まれる。日本酒などについても海外での人気の高まりとともに、原料や水、土壌や歴史などを総合的に捉える動きが広がり始めている。
2022/3/27-
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