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風と水と土と ひょうごテロワール

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草原の自然再生のため、毎年春に行う山焼き=兵庫県新温泉町、上山高原
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草原の自然再生のため、毎年春に行う山焼き=兵庫県新温泉町、上山高原
冬はスキー場になる草原で放牧される但馬牛=兵庫県新温泉町、但馬牧場公園
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冬はスキー場になる草原で放牧される但馬牛=兵庫県新温泉町、但馬牧場公園
鎌倉時代の国産牛の図説「国牛十図」(複製)で紹介された但馬牛(但馬牛博物館提供)
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鎌倉時代の国産牛の図説「国牛十図」(複製)で紹介された但馬牛(但馬牛博物館提供)
岩手県の和牛ブランドを築いた但馬牛の展示が並ぶ「牛の博物館」=岩手県奥州市前沢
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岩手県の和牛ブランドを築いた但馬牛の展示が並ぶ「牛の博物館」=岩手県奥州市前沢

 4月半ば、まだ雪が多く残る兵庫県美方郡新温泉町の上山高原は山開きの日を迎えた。地元住民らが「山焼き」の火を入れると、炎の輪がなだらかな山肌に広がっていく。黒い焼け跡はやがて新しい草に覆われ、夏になると但馬牛が放たれる。テロワールの視点で食文化を捉え直す連載の9回目は、兵庫が世界に誇る和牛の源流「但馬牛(うし)」と、人と草原との千年の歴史に分け入ってみたい。(辻本一好)

■上山高原の挑戦 

 鳥取県境に近い標高約900メートルの上山高原では、住民らでつくるNPO法人「上山高原エコミュージアム」が町や県などと、ススキなどの復活に取り組んでいる。対象は約400ヘクタール。硬いササや低木の刈り取りとともに「山焼き」は草原再生に欠かせない。

 こうした活動の源には、地元の高齢者が記憶する広大な草原の風景がある。

 「スギなどの人工林に覆われた今とは全く違います。山の上まできれいな草原が続く場所があちこちにあった。てっぺんを越えると反対集落の草原に出た」。NPO顧問の小畑和之さんは、戦後の子どものころ、放牧された但馬牛や焼き畑の煙をふもとからよく見上げていた。

 神戸ビーフなどの素牛(もとうし)である但馬牛の原産地、美方郡(新温泉町、香美町)を取材すると、人と牛の営みによって形づくられてきた草原の物語に行き着く。

■火入れと放牧

 「草原は自然にできるのではありません。牛が草を食べ、人がかやぶきなどに活用することで続いてきた」。県立淡路景観園芸学校の主任景観園芸専門員の澤田佳宏さんは説明する。

 山間地域で物資の運搬や農耕で但馬牛に働いてもらうには、山地の半分くらいを草原にする必要があった。もう半分は、調理や暖房の燃料を得るためのブナなどの薪炭林だった。

 だが、化石燃料と電気が一気に普及する昭和30年代のエネルギー革命と車や農業機械の普及によって、草原と薪炭林は価値を失い、代わって建築用のスギなどが植林される。

 また、牛は肉牛専用となって輸入飼料中心の牛舎飼いの時間が長くなる。人と牛と草原との関わりは薄れ、千年にわたる資源循環は失われた。

■鎌倉期から高評価

 草原が残る場所は、今ではスキー場などごく一部に限られている。その一つ、県立但馬牧場公園(新温泉町)に但馬牛博物館がある。

 但馬牛は、平安時代初期に編さんされた「続日本紀」に登場する。館内に展示されている鎌倉時代に書かれた「国牛十図」(複製)を見れば、車を引く牛として既に高く評価されていたことが分かる。「皮の薄さや骨の細さなど、体のラインがすっきりとした但馬牛の特徴は今も変わりません」と副館長の野田昌伸さん。

 博物館では、全国各地の99・9%の黒毛和牛が但馬牛の血統を受け継いでいることを詳しく解説している。その流れが進んだのも、戦後のエネルギー革命の時期だった。

 全国の農耕用牛や軍用馬の産地では農業の転換が迫られ、肉用牛産地をつくるため、但馬牛の血統の導入が一斉に広がった。

 岩手県奥州市にある、国内唯一の牛をテーマとした「牛の博物館」は、そうした全国の農村で起きた但馬牛をめぐる歴史を詳細に伝えている。

 館内には、美方郡から導入された「和人」「恒徳」「菊谷」といった但馬牛の名牛についての詳しい展示がある。

 館長補佐の川田啓介さんは「前沢牛など岩手の和牛ブランドを築いた但馬牛のDNAは、種雄牛に受け継がれています。和牛の源流としての但馬牛をテーマとした企画展を、7月から開く予定です」と話す。

■イヌワシ舞う風景

 明治時代には、国土の3割を占めたという草原が1%まで減った結果、草原で繁栄してきた動植物たちが絶滅の危機に直面した。貴重な高山植物やチョウなどの昆虫、ウサギなどの小動物で、その頂点に立つのがイヌワシだ。

 全国各地で草原の生態系の保護に向けた取り組みが広がる中で、その環境を形成してきた人と牛と草原の歴史が、あらためて注目されている。

 一方、耕作放棄地での放牧は牛の健康向上はもちろん、獣害対策にもなる。こうしたメリットから、農業の世界でも、牛と草原とのつながりを見直す動きが強まる。

 「環境」や「農政」など行政組織の縦割りを超え、草原再生へのビジョンが話し合われたのが、2016年に上山高原で開かれた全国草原サミット・シンポジウムだった。

 「人と草原 イヌワシが舞い 但馬牛があそぶ」をテーマとしたシンポでは、イヌワシの保護や草資源の農業利用、かやぶき文化などさまざまな視点で草原の価値を捉え直し、復活への方策が話し合われた。

 今年、兵庫県がイヌワシの保護に不可欠な草原再生と餌のウサギの増殖に向けて始める「但馬イヌワシ・エイドプロジェクト」では、生物のほか、林業や観光の担当者も加わったプロジェクトチームがつくられる。

 上山高原再生のモニタリングを続ける神戸大学名誉教授の武田義明さんは「産業、観光、生態系などトータルに草原の価値を共有しながら自然環境の魅力を高め、若い人の力を引き込むようなことが必要」と指摘する。

 のんびりと草をはむ牛たちの力を借りることで千年以上続いてきた草原の風景は、人と自然の共生の原形であり、今求められる持続可能な循環型社会のベースになりうるものだ。新しい草原文化の流れが、和牛の源流である兵庫から生まれることを願う。

【テロワール】ワインの業界でよく使われ、味や香りを決めるさまざまな自然環境を示すフランス語。具体的には原料となるブドウ畑の土壌や気候のほか、農家や醸造職人の技術も含まれる。日本酒などについても海外での人気の高まりとともに、原料や水、土壌や歴史などを総合的に捉える動きが広がり始めている。

2022/5/29
 

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