風と水と土と ひょうごテロワール
貨物船に水を送るホースが岸壁の給水栓に取り付けられた。船員立ち会いで水道メーターの数値を確認した後、バルブが開かれた。「赤道を越えても腐らない魔法の水」として外国船が求め、積み込んだKobe Water(神戸ウオーター)。神戸港では今も年間20万トンの水が船舶に供給されている。多彩な自然と歴史で織りなすテロワールの宝庫である兵庫。いにしえよりこの地の名を広め、「神戸ブランド」を支えてきた水の物語の地をたどりたい。(辻本一好)
■布引貯水池が発祥地
新神戸駅から神戸布引ロープウェイに乗り、中間駅で降りる。西へ山道を下ると、新緑の合間から水面が見えてきた。1900(明治33)年に建設された布引貯水池だ。
「神戸市の水道事業が誕生した発祥地であり、日本で一番古い重力式コンクリートダムです」。神戸市の石塚公輔さんが紹介してくれた膨大な歴史資料を調べていくと、この貯水池の建設が、神戸が世界に飛躍する大きな転換点であったことが分かる。
明治時代、貿易港として歩み始めた神戸は水問題に直面していた。大きな川がなく飲料水を井戸に頼っていたが、産業発展で人口が増える中、外国船がもたらしたとされる感染症のコレラに悩まされていた。
「航海船舶の大半は横浜や長崎等の諸港で用水を入手し、(中略)神戸港では水が求められないため、荷役終了と同時に出港を余儀なくされる-」。1973年発行の神戸市水道70年史には、神戸港が置かれていた厳しい状況が記述されている。
難局を打開すべく始まった布引貯水池の建設は山岳地での工事だったため、ほとんどが人力だった。砕石や砂の大半は現地で調達し、必要な資材は馬が引っ張るトロッコで運搬された。
難工事で完成した布引貯水池の水は、外国船の神戸の評判を一変させる。味が良い上に変質しない水は「Water of God(神の水)」と呼ばれ、多くの外国船が神戸で水をたっぷり積み込むために立ち寄るようになる。
■清涼な水を保つ技術
神戸ブランドを高めた名水誕生の要因は二つあった。一つは布引渓流の水質。急峻(きゅうしゅん)な六甲山を流れる水は腐敗の要因となる有機物が含まれにくい。
もう一つは、水の清涼さを保つ土木技術だった。今でこそ木々の緑の風景に溶け込んでいる布引貯水池だが、建設時は六甲山の木材や薪(まき)が切り出され、土が露出するはげ山に囲まれていた。
雨が降れば濁水が流れ込んでしまうという難問を、先人たちは貯水池の上流に分水堰堤(えんてい)や放水路を造って濁水を迂回(うかい)させる、日本で初めてのシステムを導入することで解決する。
■701の船舶専用給水栓
神戸港の岸壁には、今も701もの船舶用の給水栓が備えられている。「クルーズ船は水を大量に買ってくれる大事なお客さんなので、値引きして販売しています」と市港湾局給水センター長の野田晋哉さん。
ほかにも海上で船舶に給水する港務艇や、水を24時間購入できる小型船舶用の「清水自販機」が2基ある。
残念ながら給水用の水を巡る状況は大きく変わり、今では人口増加による水不足を解消するため、1942年から使用を始めた淀川の水が大半を占めるようになっている。
■渓流水で製品づくりを
世界の船乗りが愛した布引渓流の水を手に入れることは今も可能だ。市水道局は「カウベ・ウオータア」の名称でペットボトルに入れて販売している。
さらに布引の水をさまざまな事業に利用してもらおうと、1立方メートル当たり896円で販売している。布引渓流の名称が伝わるようにすることなどが購入の条件で、地ビール醸造のほか、無料で配布するノベルティーのグッズとしてボトル水を製作した企業もある。
名水は市民の暮らしにも溶け込んでいる。神戸クアハウス(中央区二宮町)では、地下深くから採取した水18リットルを100円で購入できる。住民や三宮の料理店などがくみにくるほか、土日は大阪や京都からも水を求める客が来るそうだ。
支配人代行の坂本順子さんは「天然温泉のサウナの方では、地下水をそのままかけ流す水風呂が人気です」とアピールする。
■万一の時の「命の水」
水くみ場の東にある生田川公園や布引渓流のハイキングコースには、布引の滝について詠んだ平安時代からの名歌の歌碑が点在している。「花園社」という団体が明治の初めに建てた36の歌碑で、その後散逸したが、2007年に市が再整備した。
千年前の紀貫之や在原業平の歌もあり、布引の水はこの地に人を引き寄せた最初の神戸ブランドだったのだとあらためて思った。
先人たちは発展途上の神戸港に訪れた水の危機を、この名水を水道に変えることで乗り越えた。布引渓流を集める貯水池は今も、市民の水がめとして頼もしく存在している。
六甲山の名水の魅力を生かした物語を、これからも紡ぎ続ける。それは万一の時の「命の水」を次代につなぐ力ともなる。
【テロワール】ワインの業界でよく使われ、味や香りを決める環境を示すフランス語。具体的には原料のブドウを育む土壌や気候のほか、作り手の技術も含まれる。日本酒などについても海外での人気の高まりとともに、原料や水、土壌や歴史などを総合的に捉える動きが広がっている。
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