風と水と土と ひょうごテロワール
前夜まで吹き荒れていた西からの風がやみ、瀬戸内海の朝はとても穏やかだ。海面には成長したノリの黒い帯がきれいに並ぶ。「潜り船」が網をくぐってノリを刈り取っていく。兵庫の播磨灘、大阪湾、紀伊水道に張られた広大な“海の畑”から収穫されるノリは、全国生産の2割を占める。多彩な自然と人のテロワールの物語が詰まった兵庫。今回は潮流の速い海の恵み、ノリを取り上げる。
■兵庫、佐賀、福岡が3強
日本のノリ生産は九州・有明海の佐賀、福岡と、瀬戸内海の兵庫の3県が生産量トップを競っている。
遠浅で潮の干満差が6メートルある有明海では、支柱を立ててノリ網を張って栽培する。一方、水深が深い瀬戸内海では、ブイを浮かべて網を張る浮き流し式養殖で育てる。
速い海流の中で育つ兵庫のノリは、硬めで型崩れしにくく、味や香りの持ちが良い。おにぎりや巻きずし用などで流通している。
■潮流と平行に網を張る
ノリ網を張り込むロープの枠は「柵」と呼ばれる。長さ20メートル、幅1・6メートルほどで、兵庫の海では20万も張られている。中でも明石海峡の潮流の影響を受ける神戸と東播磨沿岸、淡路島西岸、そして好漁場で知られる播磨灘の鹿ノ瀬に3分の2が集中している。
「海の栄養分を取り込むノリは流れが速く、多くの海水に触れる場所でよく育ちます」と兵庫県水産技術センター主任研究員の高倉良太さんは解説する。
20メートルある細長いノリの黒い帯は、潮流に平行に並んでいる。神戸や東播磨沿岸では東西、淡路島西岸ではほぼ南北方向だ。明石市・東二見でノリ養殖を営む西田博計(ひろかず)さんは「東西に向くように張らないと横から潮流を受けてしまい、網を張る作業も刈り取りも難しくなる」と話す。
■バリカン症と色落ち
奈良時代の文書にも登場するノリの長い歴史では、兵庫は昭和の後半に発展した後発産地だ。海を畑のように利用できる浮き流し式などの技術開発と、栄養が豊かで潮流のある環境を生かして、年間十数億枚の乾ノリ生産県となった。
だが、近年はいくつかの課題に悩まされている。一つは食害だ。
成長したノリが根元から刈られたようになる「バリカン症」と呼ばれていた現象は、同センターの調査で大半がクロダイ(チヌ)の食害と分かった。
もう一つは「色落ち」。これは海中の窒素などの栄養塩が乏しいため、漁期の途中からノリの色が薄くなり、商品価値がなくなってしまう。1990年代後半から常態化し、始まる時期が年々早くなっている。加えて、ノリが育つ水温まで温度が下がる時期が温暖化で遅くなり、よいノリが採れる漁期が短くなっている。
こうした状況の中、注目されているのが、柔らかくて味の濃い乾ノリができる「一番摘み」などのブランド化。漁協や水産会社、ノリ販売店などの取り組みも目立つ。ユーチューブなどの「須磨のり」のPRで人気を集める「河昌」(神戸市須磨区)の女将(おかみ)藤井潤子さんは「肉厚で味も栄養も濃いノリを味わってほしい」とアピールする。
■瀬戸内海の危機を受け
栄養塩の減少は、イカナゴなど水産資源全体が減少する大きな要因になっている。瀬戸内海の危機を受けて、県は海の生態系の基盤である栄養塩の回復に乗り出した。海への栄養の流れを抑制してきた下水処理場や工場からの排出基準を緩和し、窒素量を増やす対策を始動させる。
赤潮が多発した昭和の公害時代に形作られた環境政策を長く続けたことで、世界でも有数の豊かな海だった瀬戸内海は痩せ細ってしまった。「チヌは貝や釣り餌となるゴカイなど、なんでも食べる魚。ノリを食べるようになったのは、食べものが減ってしまったからかもしれない」と同センターの谷田圭亮さん。
■陸から海へ資源循環
鹿ノ瀬で採りたてのノリを食べさせてもらった。口の中でとろけ、広がる海の香りとうまみを感じながら、私たち人間と海の歴史についてあらためて考えた。
ノリはビタミンやタンパク質、食物繊維やカルシウムなどの栄養の塊だ。海で育てて人間が食べるだけで、陸から海への循環をやめれば、海の栄養が減っていくのは当たり前だ。チヌの食害は、人為的に減らされた海の栄養を人と生き物たちが奪い合っていることを象徴しているように思う。
もちろん、瀬戸内海の資源減少は海岸の開発や温暖化などの気候変動などいろんな要因はある。しかし、まずできること、始められることとして、陸から海への栄養供給を再開し、資源循環を復活させたい。それは海を畑として使わせてもらっている私たちの責任だろう。
【テロワール】ワインの業界でよく使われ、味や香りを決める環境を示すフランス語。具体的には原料のブドウを育む土壌や気候のほか、作り手の技術も含まれる。日本酒などについても海外での人気の高まりとともに、原料や水、土壌や歴史などを総合的に捉える動きが広がっている。
2023/1/29-
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