風と水と土と ひょうごテロワール
木漏れ日が所々に差し込む雑木林に、シイタケのほだ木の列が見渡す限り続く。人の手で一本一本積まれた木々が広い斜面を覆う里山の景観は、見事と言うしかない。「この辺りの木にも、間もなく生えてくるでしょう」。兵庫県猪名川町の「仲しい茸(たけ)園」の仲守さんは、数少ない大規模な原木シイタケ栽培の担い手だ。多彩なテロワールの物語が詰まった兵庫。今回は原木シイタケを通して、日本一と称される北摂の里山文化の歴史を掘り下げていきたい。(辻本一好)
原木シイタケは、クヌギやコナラなどの落葉広葉樹を伐採し、種菌を植えて育てる。夏には生い茂る葉が強い日差しを防ぎ、冬は葉が落ちて明るい里山に、1年半ほど置いておくと、秋から春にかけて収穫できるようになる。
■元は薪と炭を得る林
北摂(三田市、宝塚市、川西市、猪名川町)は、兵庫でも原木シイタケの栽培が盛んな地域だ。北摂原木しいたけ振興協議会には現在、28人の会員が加盟している。
栽培が盛んな理由を、兵庫県阪神農林振興事務所に聞くと「兵庫各地では戦後、スギやヒノキの植林が進んだが、この辺りは里山としての利用が優先された地域で、クヌギやコナラが多く手に入れやすかった」という。
里山というのは、かつて薪や炭、柴などの燃料を得る営みによって形成されてきた「薪炭林」のことだ。中に入ると、ギザギザの葉をつけるコナラやクヌギが多いことが分かる。これらの落葉広葉樹は自然に林の中心になったわけではなく、燃料として選ばれることで増え、暮らしを支えてきた。2千年以上といわれる北摂の人と落葉広葉樹との関係の歴史を伝えるのが、川西市黒川地区に点在する市の天然記念物「台場クヌギ」だ。
■日本一の台場クヌギ
「黒川地区は日本一の里山です」。そう話す兵庫県立南但馬自然学校学長の服部保さんに、台場クヌギの林を案内してもらった。
2メートル超のずんぐりした幹から、太い枝や細い枝が十数本出ている。成長する枝の伐採を繰り返すうちにこういう姿になる。
「以前、樹齢百数十年のクヌギの年輪を見ると、20回ほど伐採されたことが分かりました」
クヌギを燃料として人が選んだのは、枝を伐採してもすぐに生えてくる旺盛な成長力が理由だった。例えば、スギやマツなどは一度伐採すればもう生えてこない。
北摂地域は、平安時代の古文書にも炭焼きの記録があり、豊臣秀吉や千利休が使ったという伝承も多い。特産の「菊炭」は江戸時代の旅行ガイド本にも登場し、将軍家の特別な茶会のために運搬されていたそうだ。今も地区には、そうした伝統を守る一軒が炭の生産を続けている。
■里山文化救った栽培
弥生時代からの燃料供給の里山システムは戦後、終わりを迎える。石油やプロパンガスなどが急速に広がった昭和30年代のエネルギー転換によって、炭や薪の需要が急減し、クヌギやコナラの林は価値を失った。
そんな危機に直面した山村を救ったのが、原木シイタケ栽培だった。クヌギやコナラはそのまま使え、乾シイタケは市場価格も高かった。全国の山村が振興に取り組み、北摂でも生産者が増加し、大規模に栽培するシイタケ狩りの体験農園なども増えた。
だが、半世紀あまり里山の景観を守ってきた原木シイタケは今、厳しい環境に置かれている。オガクズなどを利用した菌床シイタケが増え、原木シイタケの割合は1割以下に。前出の仲さんは「悪い要素が重なって、原木の調達が非常に難しくなっている」と厳しい表情で語る。
要因の一つはシカの食害だ。15年ほど前から、伐採したクヌギやコナラから生える新芽を食べられる被害が急激に増え、枝が育たない。最悪の場合、枯れてしまう。伐採する人手の不足も深刻だ。スギなどを燃料とする木質バイオマス発電所が増える中、木を伐採する業者の確保が難しく、人件費も上がっている。
■資源循環で高い評価
一方、里山は生物多様性や環境保全、資源循環などの面から高く評価されるようになった。クヌギやコナラの樹液はカブトムシやクワガタ、ハチ、チョウの餌となり、古いほだ木は幼虫のすみかとなる。野生のさまざまなキノコも生える。
秋から冬の紅葉で人を楽しませた後、肥料にもなる落葉はミネラル豊かな地下水を涵養(かんよう)し、海へと供給される。ほだ木は暖房の燃料にも生かされる。水をため込む保水力と深く強い根は、水害を防ぐ役割も果たしてくれている。
原木シイタケの産地縮小によって失われようとしているこうした役割に行政はもっと目を向け、里山再生への取り組みに力を入れてほしい、と仲さんは訴える。
■クワガタの森を次代へ
「例えば、たくさんある県有林や維持に困っている耕作放棄地を、原木を得られる場所として生かすことができれば、子どもたちが楽しみながら自然の資源循環が学べるカブトムシやクワガタの林を増やしていける」
水と資源を循環させ、災害を防いでくれる里山。生命の営みがあふれる空間に身を置いて仕組みを深く知ると、原木シイタケこそが2千年もの間、受け継がれてきた人と自然の共生システムの要になっていることがよく分かる。今がその豊かさと機能を次代につなぐ地域デザインを描き直す、最後のチャンスなのかもしれない。
【テロワール】ワインの業界でよく使われ、味や香りを決めるさまざまな自然環境を示すフランス語。具体的には原料となるブドウ畑の土壌や気候のほか、農家や醸造職人の技術も含まれる。日本酒などについても海外での人気の高まりとともに、原料や水、土壌や歴史などを総合的に捉える動きが広がり始めている。
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