太平洋戦争で明石市が初めて空襲に見舞われてから、19日で丸81年となる。川崎航空機(現川崎重工業)明石工場が狙われ、犠牲者の中には、学徒動員として働いていた田辺高等家政女学校(和歌山県)の11人もいた。彼女たちが生き埋めになった防空壕(ごう)があった谷池(明石市和坂1)周辺を、「明石空襲を記録する会」の山本信季さん(77)と歩いた。(森 信弘)
国道175号に面した市営「あかし斎場旅立ちの丘」のそばの土手を上ると、谷池が見渡せる。フェンスで囲まれた池の水面を水鳥が泳ぐ。「11人がいた防空壕は、あの枯れた竹やぶの辺りですよ」。山本さんが池の西側を指さした。























