碧梧桐短冊(1909年、右から)「紀元節 神々のたなそこ物や梅の花 碧」「行李柳炭櫃の手にも白き宿 碧」(個人蔵)
碧梧桐短冊(1909年、右から)「紀元節 神々のたなそこ物や梅の花 碧」「行李柳炭櫃の手にも白き宿 碧」(個人蔵)

 河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)は正岡子規の死後、新聞「日本」の日本俳句欄(投句欄)を継いだ(後に雑誌「日本及日本人」とかわる)。子規の死とともに離れて行った同輩や先輩たちも多く、彼らの代わりに一緒に俳句を作る仲間がほしかったようだ。