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私の思い-沖縄本土復帰50年 出会いが縁、第二の故郷に

2022/05/15 22:10

 約40年前、両親と一緒に家族で沖縄へ。出発前に娘が熱を出しましたが、医者の許可を得て、沖縄に着きました。現地では個人タクシーを利用しての観光でした。その時の運転手さんがとても親切な方で、病院に連れて行ってくださり、帰りには手作りのアンダンスー(油みそ)まで頂きました。

 運転手さんの娘さんご家族とも仲良くなり、それから40年のお付き合いです。娘さんは私の少し年上で、家族の話など、どんなことでも話せる間柄に20年ほどかけてなりました。沖縄の友達もたくさんでき、第二の故郷になりました。

 運転手さんは亡くなりましたが、娘さんのお孫さんが兵庫の大学を出て、大阪で就職していて本当の孫同様に思っています。

 沖縄では不思議なご縁を頂きました。方言で言うと「いちゃりばちょーでぃ(一度会えば兄弟)」。このご縁が長く続くことを願っています。

(兵庫県三田市 女性)

■旅行3回、守礼門で記念撮影

 私は沖縄に3回も行けました。初めて行ったのは1972年の6月、19歳の時。船のツアーで神戸港から2日がかり、沖縄には3日間滞在しました。着いた時は南国の青い空、カラリとした気温で、海はどこまでも広く、家もお店も少なかったです。ひめゆりの塔や日秀洞、守礼門を見学して記念写真を撮りました。

 2回目は40歳の時、母と家族で行きました。那覇空港に着いた時「めんそーれ沖縄」と大きなハイビスカスを耳に付けてもらいました。行く先々でお土産をたくさん買って、海のそばにある「ホテルムーンビーチ」でたくさん泳ぎました。帰りには七夕の短冊に「もう一度来られますように」と書き、守礼門で写真を撮りました。

 願いがかない、64歳の時、沖縄に行きました。手荷物は孫が持ってくれたので楽々でした。美ら海水族館を満喫して、集合写真はやっぱり守礼門。もう思い残すことはないと思っていましたが、この文章を書いていると、4回目も行きたくなりました。

(姫路市 69歳女性)

■米軍機、文句が言えないのか

 中学生や高校生の時、沖縄に行くのになぜパスポートがいるのかなど、深く考えてきませんでした。

 2019年に首里城の火災があってから、すぐに沖縄に行きました。再建してほしくて、初めて行きました。ショックを受けたのは、頭上すれすれに飛ぶ米国の戦闘機でした。何回飛ぶのか。これに誰も文句が言えないのか。

 米国側に有利な協定に歯がゆい思いです。「日本の政治家は何をやってんだ」との思いがますます募ります。

(神戸市 72歳女性)

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