三村正之さん。虐待の記憶は今も脳裏に焼き付いている=宝塚市野上2(撮影・吉田敦史)
三村正之さん。虐待の記憶は今も脳裏に焼き付いている=宝塚市野上2(撮影・吉田敦史)

 独立してからは、水を得た魚のようだった。働けば働くだけもうかった。

 30代前半で積水ハウスを辞めた三村正之さん(80)は、神戸市北区に事務所を構えた。いくつも土地を買い、そこに自分でマンションを建て、学生や単身者に貸し出すという業態だった。

 事業においては、母から多大な影響を受けた。歯科医院を経営するだけでなく、空調設備や不動産業と手広く商売をしていた。母方の祖父は実業家で県議会の議長も務めた人物。「おじいちゃんの娘だけあって、事業の達人だった。母の言う次の一手を打てば、その通りになった。50年近くそばにいて教わったのは私の財産」