居留地のメインストリートだった京町筋の南側に、江戸幕府が設けた神戸海軍操練所跡の碑(神戸市中央区新港町)がある。操練所は外国の圧力が強まっていた幕末、港の防備を強化するために造られたが、1868年の神戸開港後、英国領事館として一時的に使われた。
英国に攻め取られたわけではない。外圧に備えるための施設が、時代が変わり領事館として利用された。何とも皮肉な話だ。もう一例挙げると、生田神社境内にも外国領事館があったそう。条約上、外国人は居留地外に住んではいけないはず。しかも神社とは…。
「居留地の整備が大幅に遅れましてね。そのときは建物なんてなく、ほぼ更地だったんです。怒った外国人もいたと聞きます」
居留地の歴史に詳しい神戸大学名誉教授の神木哲男さんが教えてくれた。開港時の神戸港には倉庫3棟と運上所(税関)、波止場3カ所しかなかったという。
19世紀半ば、日本と欧米諸国とが交わした条約に基づき5港が海外へと開かれた。しかし記録を見ると、神戸開港は横浜や長崎より8年半も遅い。その上、開港はしたもののほぼ更地だったというから驚きだ。領事館でさえこんな状態で、一般の外国人が寺に寄宿したり、農家から土地を借りたりした記録が残る。
「住む場所がないから、周辺の人々にお願いするしかなかったのでしょう」
その通りだが、ぼうぜんとした外国人も多かったのではないか。はるばる極東の島国まで来て、いざ上陸したら住む場所がないのだから。居留地周辺にいた日本人も、急に隣近所に住み始めた外国人を見て目を丸くしたに違いない。
神木さんによると、こういった背景には、当時の天皇が開国を極度に嫌がり、特に畿内(京都に近い場所)の開港許可をなかなか出さなかったことや、幕末の動乱期で日本の役人が居留地の整備どころではなかったことがあるとのこと。
神戸が外国の文化をいち早く取り入れて「日本初」を数多く生んだのは、居留地の整備が遅れたため、周辺に住んでいた外国人と日本人とが交流したからだという。
歴史はどう転ぶか分からない。次回は、こうした神戸特有の交流文化に触れたい。(安福直剛)
=随時掲載=

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