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母千鶴子さんが亡くなった自宅跡地の前で手を合わせる村上幸生さん=17日午前7時、神戸市兵庫区松本通3
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母千鶴子さんが亡くなった自宅跡地の前で手を合わせる村上幸生さん=17日午前7時、神戸市兵庫区松本通3
孫を挟んで笑みがこぼれる樽井千鶴子さん(右)と征四郎さん(村上さん提供)
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孫を挟んで笑みがこぼれる樽井千鶴子さん(右)と征四郎さん(村上さん提供)

 大分県に住む村上幸生さん(70)は震災翌日、兵庫区松本通で被災した母の樽井千鶴子さん=当時(62)=の安否を確かめるため、神戸へ飛んできた。

 松本通を含む川池地区は約3千世帯の7割の家屋が全焼、全壊。千鶴子さんのアパートも2階から崩れ落ち火の手が上がっていた。希望を捨てきれなかった幸生さんは避難所へ走った。

 小学校の体育館の隅っこで母の名を呼ぶと、「兄ちゃん、人探しとんやったら、もっと大きい声出さんと」と誰かが言う。「すみませーん。樽井千鶴子をご存じないですか」。声を張り上げると、静寂に包まれ、そこにいた誰もが耳を澄ましてくれた。その沈黙はとてつもなく長く感じた。返事はなかったが、見知らぬ人らの親切が胸に迫った。

 数日後、焼け跡から母の遺骨が見つかった。2人分重なるように残っていた。再婚相手の樽井征四郎さん=当時(52)=だった。病気で体が不自由な千鶴子さんが一度、地下鉄に身を投げようとしたときに止めてくれたのが出会い。命の恩人であり、「せいちゃん、せいちゃん」と、母が心から頼っているのを知っていた。「好きな人と最後まで一緒にいられて良かった」と思えたことは、幸生さんにとってわずかな救いだった。

 毎年1月17日は、当時寝泊まりさせてくれた願成寺(兵庫区)の住職を訪ねる。コロナ禍で3年ぶりに神戸に来た今年は川池公園での追悼式にも参列した後、今は駐車場になっている母の自宅跡に立ち寄った。

 以前はこの日、この時間に母が痛い、苦しい思いをしたとばかり考えた。でも今年は穏やかに祈れた。「おふくろを苦しませたくない、安らかに眠ってもらいたいと思ったら、そうする方がいいのかなって」。震災の爪痕が消えつつある街を背に手を合わせた。

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