楠木正成の幼名の多聞丸から取って「多聞通」、姓を自ら橘と名乗ったことがあるため「橘通」、そして文字通りの「楠町」-。湊川神社(神戸市中央区)周辺は、正成にちなむと伝えられる地名であふれている。
正成が1336年、湊川の戦いで死没後、500年以上のときを経て神社が創建された。その長い年月の間、徳川光圀をはじめとした人々が尽力した-。
こうした史実を紹介したが、神社周辺にはこれらの人々ゆかりの場所がある。
湊川神社の山手、大倉山にある安養寺(中央区楠町7)。ここは江戸時代、尼崎藩主青山家の菩提寺になった。ちなみに、湊川神社一帯はかつて坂本村と呼ばれた場所で、尼崎藩の領内だった。
「自分の領内に楠木正成の墓があると知り、五輪塔を建てたという藩主青山幸利のお話を以前にしました。その方の墓です」。郷土史に詳しい姫路独協大学副学長の道谷卓さんが寺の中を案内してくれた。
安養寺は元々は尼崎にあったそうだが、幸利の遺志で坂本村に移り、現在の大倉山は「安養寺山」と呼ばれていたという。
境内には立派な墓や幸利の徳を慕う景仰碑があり、碑の裏には「楠公を顕彰した最初の人物」などと刻まれている。幸利も、正成が祭神となり、これほど大きな神社になるとは想像していなかったはず。さぞ喜び、驚いていることだろう。
安養寺のすぐ近くには、通称「楠寺」で知られる広厳寺(中央区楠町7)がある。その名の通り、正成とのゆかりが深い。
この寺は14世紀前半に創建された。諸説はあるが、正成は湊川の戦いの直前にこの寺の住職と禅問答をして大いに悟り、戦いに臨んだとも言われている。
17世紀後半、光圀に正成の墓を立派にしてもらうよう尽力した住職、この人物こそ広厳寺の千巌だ。過去の禅問答の話を知ってか知らずか、正成を慕う気持ちは相当強かったようだ。
「千巌は老齢の身で、墓碑を建ててもらうために兵庫と江戸を何往復もしたそうです。強い思い入れがあったのでしょう。彼の努力がなければ、これほど光が当たることはなかったかもしれません」。こちらも千巌の景仰碑が立っている。
そういえば、湊川神社の「大楠公御墓所」には多くの石灯籠があった。それをよく見ると、江戸時代の尼崎藩主が寄贈したと思われる文言が刻まれていた。
「徳川御三家である光圀が動いたことで、尼崎藩主も自領内にある楠公墓碑の大切さを改めて感じたのでしょう」
坂を下って神社に戻ると、門帳や瓦など至る所にある菊水紋が目に留まった。そういえば、兵庫区には「菊水町」もあったな…などと思い出した。(安福直剛)
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