1995年1月、ラグビー日本選手権の大東大戦でトライを奪う神戸製鋼の平尾誠二さん=国立競技場
1995年1月、ラグビー日本選手権の大東大戦でトライを奪う神戸製鋼の平尾誠二さん=国立競技場

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から30年。ラグビー日本代表で活躍した平尾誠二さん(2016年に53歳で死去)は神戸製鋼(現リーグワン神戸)の象徴的存在として戦った。震災後の始動は大幅に遅れ、日本選手権の連覇も途絶えたが、弱音を吐くことはなかった。元チームメートで親交が深かった藪木宏之さん(58)は「自分から『神戸のために』と口に出すことはなかったが、思いは誰よりも強かった」と述懐する。

 新日鉄釜石(現釜石)に並ぶ日本選手権7連覇を果たした2日後に震災が起きた。神戸市の平尾さんの自宅はガスや水道がストップ。練習グラウンドや寮を見て回り、被災者の救出を手伝った。夏になりようやく選手全員がそろった。関西社会人リーグは2位。全国社会人大会は準々決勝で引き分け、トライ数の差で4強進出を逃した。苦しい時期を過ごした後、ゼネラルマネジャー(GM)を務める神戸製鋼が2000年、日本選手権で優勝した。