■三木飛行場の記録伝え
「三木に飛行場があったんですよ」。兵庫県三木市立中央図書館で開かれている三木飛行場展。資料や航空写真に驚く来場者に力強く語る。
郷土史家のように現場に足を運び、文献を調べる取り組みは学生時代から続けてきた。「各地の城が見てみたい」と城を中心に調べ、卒業後は会社に勤めながら調査に没頭した。関心は和歌山県と淡路島をまたぐ紀淡海峡にあった明治時代の要塞(ようさい)にも移ったが、地元の三木飛行場に向くことはなかったという。
転機は1992年の秋だった。三木市史ですら同飛行場を触れていない現状に、郷土史家の故落合重信氏からこう言われた。「地元は(飛行場の)記録を残す気があるのか」。その指摘が三木飛行場の記録を残す活動へと導くきっかけになった。
言葉を受けてすぐに聞き取りを始めた。同年10月には飛行場で訓練した元特攻隊員の男性の話に耳を傾けた。男性は2カ月後に倒れ「もう少し遅ければ、何も残せていなかった」と振り返る。暗号通信担当、飛行場建設に関わった住民、特攻隊長など、集めた数々の証言は93年に「三木史談」として記録にまとめた。
しかし、飛行場に関する調査はいったん終了した。「ひとまず記録をまとめたし…」と、城の調査へと戻った。再び飛行場を調べ始めるまで20年近くの歳月が過ぎ、多くの関係者が鬼籍に入っていた。「1993年以降も聞き取りを続けていれば。生存者の話を後世に残すチャンスだったのに」と今も悔やむ。
2012年から開催を続ける「三木飛行場展」では、手作業で飛行場を整備した人々の様子を記すとともに、飛行場で訓練を重ねた後、鹿児島県の知覧から飛び立った特攻隊員の手紙も展示している。
地元住民らへの聞き取り以外にも学校史などの資料を丹念に調べ、時には、鹿児島県の知覧特攻平和会館に赴いて丸1日かけて資料を写し、時には米国防総省のマイクロフィルムを国会図書館から取り寄せた。そうして集めた膨大な資料から、当時の様子や関係者の人物像、飛行場の特性を浮かび上がらせている。
「今後は当時のことを知ろうと思えば資料にあたるしかない時が来る。だからこそ、後世にできる範囲で記録を残しておきたい」とその意義を説明する。
戦後76年を迎え、第2次世界大戦を体験した人々はわずかとなった。記憶や記録を後世に残す取り組みを担う個人や団体も高齢化が進む。次世代にどう引き継ぐか。膨大な資料をどこでどう保存するか。さまざまな課題に直面している。
図書館のエントランスに並ぶ数々の資料を見ながら静かに決意を口にする。「飛行場について知らない三木の人はまだまだ多い。戦後80年まではなんとか続けたい」(篠原拓真)
【記者の一言】「もう少し早ければ話を聞けたのに」。そう悔やむ宮田さんと同様、私も戦争関連の取材で痛感した。戦後76年を迎え、当時5歳だった人も今は80歳を過ぎている。体験者の声に直接、耳を傾ける機会は少なくなってきた。それぞれが持つ戦争に関する記憶を記録として後世に受け継ぐことができるかは、今が正念場なのかもしれない。大それたことができるわけではないが、その一助になるように努めたい。

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