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東播タイムス社長の中嶋明さん(中嶋康子さん提供)
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東播タイムス社長の中嶋明さん(中嶋康子さん提供)
東播タイムスのコピー
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東播タイムスなど三木で刊行された地域新聞について研究した進藤輝司さん=三木市本町2
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東播タイムスなど三木で刊行された地域新聞について研究した進藤輝司さん=三木市本町2

 40年ほど前まで、兵庫県三木市内で「東播タイムス」という名の地域新聞が刊行されていた。戦前からローカルニュースを発信していたが、市民からは「懐かしいけどよく覚えていない」との声が大半。地域に残した足跡を、歴史好きの記者がたどった。(長沢伸一)

 「三木市内には昭和初期から日刊の地域新聞が発行されていた。その一つが東播タイムスだった」。郷土史家の進藤輝司さん(86)はこう話す。

 旧三木町では、1931(昭和6)年ごろに初の地域新聞として「播州中央新聞」が創刊された。「東播タイムス」がスタートを切るのは、その4年後の35年のことだ。

 ただ、ライバル紙ではなく、進藤さんは「同時期に2紙が日刊発行されていたとは考えにくい。東播タイムスはおそらく播州中央新聞の社員を継承して刊行されたのだろう」と推測する。

 社長は三木町会議員を務めていた故中嶋明さん。「東播」の名称が示すように、発行地域は三木町にとどまらず旧美嚢郡や旧加古郡に及んだ。

 現存する1937年7月9日号は、美嚢郡畜産組合が肥料代削減を目的に普及を進める「有畜農業経営」の紹介や、農業研究日誌が口吉川村で作成されたこと、加古郡の県議選で落選候補が選挙違反で罰金刑になったこと-などを伝えている。当時の全国紙や地方紙が中央政界の話題を大きく取り上げる中、地域の細かな話題を取り上げ続けた。

 だが、戦争の激化に伴い、国が新聞を統制していく中、一つの県に新聞は1紙となった。その影響で東播タイムスも休刊になったとみられる。進藤さんは「まず、戦前の三木に日刊紙があったことが驚き。三木を中心に文化の発展に貢献した新聞だった」と評価する。

    ◇

 終戦後の1948年「東播タイムス」は復刊する。社長は戦前同様、中嶋明さんだった。

 中嶋家は、明治時代から三木で新聞を販売してきた。中嶋さんの長男、故将雄さんの妻康子さん(85)は「当時、うちでは神戸、毎日、朝日の3紙を配っていたけど、三木の話題は少なかった。地元のニュースを住民に伝えたいとの思いだったのだろう」と義父の思いを代弁してくれた。

 康子さんによると、中嶋さんは新聞販売店の店主をしながら、2、3人の記者を指揮し、月6回新聞を発行していた。小野や加東にも支局があったという。

 行政ニュースのほか、美嚢郡の地名を取り上げた読み物や郷土の随想なども掲載。若き日の俳人、故伊丹三樹彦さんを取り上げたコーナーでは、学生時代を三木で過ごしていた縁や「鍛冶の子」など三木の情景を詠んだ俳句を紹介し、「まだ三十台で前途ある郷土出身の作家」(原文ママ)と結んでいる。

 当初は宅配をしていたようだが、次第に神戸新聞に折り込んで発送するようになったという。1970年ごろからは将雄さんが中心となり、新聞製作を続けた。

 しかし、地域内を回っていた記者が高齢となり、部数も減少。神戸新聞の専売店をしていた縁で中嶋さんと将雄さんが働きかけ、80年に神戸新聞の「三木三田版」から三木版が独立した。

 その数年後、東播タイムスは廃刊した。「神戸新聞三木版に掲載されるニュースと内容が重なるようになり、東播タイムスの役目は終えたということでしょう」。康子さんの言葉に、現在三木版を担当する記者として背筋が伸びた。

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