自分の町ではどの名字が一番多いのか? 兵庫県三木市吉川町に住む郷土史家の藤田均さん(70)が、住宅地図を駆使して同町内の名字分布をまとめた。最も多かったのは、自身の名字でもある「藤田」。町内の奥谷地区では全戸数のうち3割7分を「藤田さん」が占めた。
中学校では40人学級に5~8人の「藤田」が在籍するなど、昔から周囲に同姓が多かったという藤田さん。2018年に町内の名字調査と地区別名字一覧の作成に乗り出した。
調査の基礎となったのは12年の住宅地図。1ページずつ住宅部分に書かれた名前を確認し、数え終えた住宅に印を付けた。名前の記載がない住宅は、周囲に住む知人や友人に尋ね、2カ月をかけ調査した。
結果、吉川町内2247戸(調査時点)のうち、最も多かった名字は「藤田」で115戸に上った。次いで「山本」(50戸)「田中」(42戸)「石田」(33戸)と続き、総名字数は831を数えたという。
「藤田」が多い理由について、吉川町周辺を治めた武将藤田氏の影響で名字を名乗った人が多いと説明する。地区内の「藤田率」が全54戸中20戸の3割7分に及んだ奥谷地区では、明治時代に名字を決める際、小学校校長を務めた寺院の住職が藤田氏の偉功にあやかることを勧めたという逸話があるという。
吉川の藤田氏のルーツは武蔵国藤田郷(現在の埼玉県寄居町)で、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも注目される坂東武者の一つだった。
藤田さんは「この辺りは昔、天皇家の荘園だった」と紹介。「承久の乱」(1221年)では、朝廷に勝利した鎌倉幕府が荘園を召し上げ、御家人たちに分配した。同乱で活躍した藤田氏はその際、吉川の地を与えられたという。
「この時に一部の人が関東から吉川へ移った」と藤田さんは解説し、県指定文化財「法光寺文書」には関東からの移住を裏付ける書状が確認できるという。その後、藤田氏は三木合戦後に滅んでいくことになるが、吉川町一帯を治めた功績は継がれ、名字として残ることとなった。
藤田さんは「他の名字もデータにしておくと目に見えて分かる。しっかり整理して次代に残そうと思う」と話し、将来的には図書館での保管を考えている。(篠原拓真)
◇ ◇
吉川町の名字数トップ10(郷土史家藤田均さん調べ)
(1) 藤田 115軒
(2) 山本 50軒
(3) 田中 42軒
(4) 石田 33軒
(5) 岩崎 26軒
(5) 森本 26軒
(7) 前田 25軒
(8) 松原 23軒
(8) 岸本 23軒
(10)山田 22軒

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