戦国期の三木合戦で羽柴秀吉が本陣の付城(平井山)から兵庫県三木市志染町安福田の集落に通ったと推測される道を、地元の郷土史家がハイキングコースとして整備した。伝承では、秀吉が戦勝祈願のために安福田地区の八幡社に出向き、帰りに麓の庄屋で休息を取ったとされ、自然や歴史を堪能できる散策道として整えた。
付城は1578年、同市平井、与呂木、志染町安福田にまたがる平井山に築かれ「平井山ノ上付城跡」(秀吉本陣跡)として国史跡に指定される。市が本陣内をウオーキングコースとして整備し、尾根上の道は秀吉ゆかりの道として「太閤道」と呼ばれている。
埋もれていたルートを開拓したのは郷土今昔調査会の室谷敬一さん(79)と渡瀬達夫さん(70)=いずれも同市。言い伝えや明治、大正期の地図を基に今年8月から道を探索した。山中はシダで覆われ、やぶに分け入って確認。踏みしめた感覚でかつての道かどうかの判断を重ねた。スマートフォンの位置情報も活用し、草木を刈って再び道を切り開いた。
道の一つは、市が整備したルートから東に延び約1・6キロ。尾根筋に沿って比較的平らに進み、ブドウ園の脇を通過すると下りになり、行者堂や竹中半兵衛の石棺が入っていたと伝わる墓や供養塔が現れる。もう一つの道は距離(約400メートル)が短く、急斜面を下りながら安福田地区へと続く。
20日に約10人がハイキングし、石碑の文字に目を凝らしたり、眺望を楽しんだりしていた。室谷さんは「里山はかつてもっと身近な存在だった。古道に詰まっている歴史を感じてほしい」と話している。

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