「優しくて料理上手だった」「人懐っこくて明るくて」-。かけがえのない存在だった人の魅力は、亡くなってから30年たっても色あせることはない。17日、兵庫県内各地に設けられた追悼の場では多くの人が手を合わせた。家族や友人、知人との大切な思い出を携えて。
■10年間は苦しかった 額田規宏さん(62)=西宮市
母の公子さん=当時(61)=を西宮市で亡くした 母も私も2階で寝ていた。「はよ、起きてや」と声をかけ1階に降りたところだった。激しい揺れと同時に木が割れるような音と悲鳴。2階はぺちゃんこになり、見えるはずもない月で明るかった。
昼の1、2時ごろ、消防団の人が、はりの下敷きになった母を出してくれた。雨戸に遺体を乗せて1階に降ろし、遺体安置所になった中学校まで自分で運んで。火葬場がないから、親戚がいた岡山県でさせてもらった。最後に顔を見るまで夢を見てるみたいだった。
その後、10年は地震のニュースを見ると心が沈んで苦しかったな。最近は夢に出てこなくなったから、きっといいところにいるんやろう。好きだった反物がまだ家にあるけどどうしようか。=西宮市の西宮震災記念碑公園で=(貝原加奈)