多数の米軍B29爆撃機機が神戸市兵庫区などに大量の焼夷弾を投下。死者約2700人に上ったとされる。国鉄(現・JR)高架の上を伝い逃げる人々=昭和20(1945)年3月17日

 兵庫運河に重厚な姿を映す石造りの3連アーチ橋、大輪田橋(全長56・6メートル)を渡る。欄干の北東の隅に飾り柱が立つ。1995年の阪神・淡路大震災の激震で橋の隅に立っていた3本の柱は崩壊した。水に沈んだとおぼしき1本が欄干から身を乗り出すと見える。修復された1本だけが戦災・震災復旧モニュメントとして再建されている。