(この連載は、WHOの自殺報道ガイドラインに則り、精神医療の専門家の助言を受けています。記事中、個人名の敬称は省略しました)

2024年10月23日。告発文書を巡る追及が熱を帯びていたさなか、兵庫県議の竹内英明は実母を失っている。
容体の悪化を知らされても、県議会を休まず、息を引き取った瞬間も本会議場にいた。
県議会の調査特別委員会(百条委員会)での追及を優先し、「この職業に就いた以上は、母親も理解してくれている。俺はこの問題に命をかけている」と周囲に語っていた。
7月以降、告発文書問題では、県議会の急先鋒として竹内が追及の先頭に立っていた。
知事・斎藤元彦の2度にわたる証人尋問は全国ニュースで中継された。県庁には1日千件を超える苦情電話が殺到し、業務は停滞。混迷が深まる中、県議会は斎藤への不信任決議に傾く。
百条委の結論が出ていないのに県議会が不信任案を出したことについて、のちに「早すぎたのではないか」「百条委の結論を待つべきだった」との批判が上がる。
竹内自身、決議の前に百条委として「中間報告」を取りまとめる道を一度は探ったが、その後の審議が結論ありきの運び方になりかねないと判断し、断念した。
9月19日。県議会が斎藤に対する不信任決議案を全会一致で可決する。兵庫県政史上で初めての事態だった。
一方、議場の外では、別の文脈で竹内の名前が消費されていく。
〈ゆかたまつりのデマをばらまいた県議〉〈竹内県議の尋問はパワハラがひどすぎる〉
そんな言葉がSNSに広がっていった。

斎藤は9月30日付で失職し、10月31日に知事選が告示された。
その6日前の10月25日の百条委閉会後、同じく多くの中傷を受けていた百条委員の県議・丸尾牧が、竹内を自身の控室に呼び込んだ。X(旧ツイッター)社への発信者情報の開示請求を一緒にやろうと提案したが、竹内は首を縦に振らなかった。
「怖いんです。俺はいいですわ」
母の死とSNS上の批判で、竹内の心身はすでに疲弊し切っていた。
だが、その「怖さ」がリアルに迫ってくるのは、ここからだった。
・急増する投稿と中傷は、竹内の暮らしと心身をどう追い詰めていったのか。
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