壮絶な暴力は、結婚2カ月後から始まった。シリーズ離婚「暴力夫は練炭自殺を図った」(全8回中の3回目)。2007年、兵庫県内に住む洋子=当時(32)、仮名=は秀男=同(30)、仮名=から髪の毛をつかんで引きずり回されるなどの暴行を受け始めた。さらに義父母の振る舞いが、洋子を苦しめる。(斉藤正志)
■携帯を常にチェック、苛烈なモラハラ
秀男は、ささいなことをきっかけに暴れた。
洋子の携帯電話を細かくチェックし、仕事上の用件でも、職場の男性から電話があったのを見て、激高した。
メールの送受信を見て、気に入らない内容が書かれていると怒った。
洋子が買い物から帰ると、秀男はレシートを出させ、記入してある時間を確認する。
それをしないと、秀男は「浮気しとったやろ」と怒声を上げた。
苛烈なモラルハラスメントを受け、2カ月に1度は、手の付けられないかんしゃくを起こした。
洋子は髪の毛をつかんで引きずられ、首を絞められた。
食器を投げ、近くにある物を殴って壊す。壁に穴が開いたこともあった。
秀男の暴力に震える日々だった。
首を絞められた跡があざになり、洋子は夏でもハイネックの服を着るようになった。
■義父母の家庭は崩壊していた
洋子と秀男は、秀男の実家の隣に2階建て住宅を建てて暮らしていた。
洋子が秀男と結婚するか迷った際、近くに義父母がいて、助けてもらいやすいことも決断した理由だった。
洋子は結婚後、それが幻想だったと知ることになる。
洋子と秀男は同居に当たって「ルールブック」を作り、「何か問題が起これば両親に相談する」と書いてあった。
しかし義母に秀男の暴力を相談しても、何もしてくれなかった。
秀男は「何でおかんに話したんや」と言い、また暴れた。
実は、義父母は洋子を助けるどころではなかった。
その家庭は崩壊していた。
■妻は所有物と同じ
地方の小さなまちで、義父は古めかしい考え方を持っていた。
男尊女卑は当たり前で、義父にとって、妻は所有物と同じだった。
急に客を自宅に連れてきて、義母に食事を作るなどの接待をさせる。
年末年始は親戚中に餅やおせちを配るため、義母は休みなく立ち働かなければならなかった。
義母はストレスから、何かトラブルがあると薬物に走るようになった。
シンナーにおぼれ、家事をおろそかにするようになっていた。
■「何で女が遅くまで働かなあかんのや」
洋子は結婚後も秀男と同じ会社で働いていた。
当初、義父は「結婚しても外で働いてほしい」と言っていたが、次第に洋子が働くことに対し、不満を口にするようになった。
洋子は月1回、帰りの遅くなる日があり、先夫との間の子である小学生の長男を預かってもらっていた。
「この子の面倒は誰が見るんや」
義父は強い口調で言った。
「何で女が遅くまで働かなあかんのや。早く帰らせてもらえ」
洋子は叱られるようになった。
■「男は暴力を振るうものだ」
突然連れてきた義父の客の接待を、義母の代わりにさせられることもあった。
「自分の妻にはそれをさせてきた。同じようにしなさい」
そう言われた。
秀男が大声を出して暴れた時、騒ぎに気づいた義父が駆け付けたことがあった。
その時、義父はこう言った。
「男は暴力を振るうものだ。女は我慢しないさい」
洋子は絶望した。(敬称略)
続き ④臨月のおなかに馬乗りで暴力 長男が飛びかかって守ってくれた
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シリーズ「離婚」は、神戸新聞の双方向型報道「スクープラボ」の一環で、LINE(ライン)を通じたアンケートの回答者に取材しました。