杭州アジア大会で優勝し、金メダルを手にする広岡宙選手(後列右)=提供
杭州アジア大会で優勝し、金メダルを手にする広岡宙選手(後列右)=提供

■年長児から競技→県外中学に進学、鍛錬→強豪国撃破で歓喜

 10月3、4日に開かれた杭州アジア大会のソフトテニス男子国別対抗戦で、三田市横山町出身の広岡宙(そら)選手(24)=NTT西日本=が、日本の金メダル獲得に貢献した。三田で育った幼少の頃から全国大会を経験し、初めてつかんだ代表でライバル国を連破。広岡選手は「相手のエースペアを倒せた。ここまで成長できたんだな」と喜びをかみしめている。(橋本 薫)

 ソフトテニスに親しむ両親の影響で、保育園年長から「三田ジュニアクラブ」で競技を始めた。三田小学校1年で県内の初級者が集まる大会に挑み、クラブの上級生とペアを組んで優勝したことが、夢中になるきっかけになった。

 小4から全日本小学生選手権に出場し、兵庫チームの主将だった小6で団体戦優勝を果たした。個人戦も2位に入り、中学生が中心メンバーのU-14(14歳以下)日本代表入り。以降もカテゴリー別の代表に名を連ね続けた。

    □   □

 小6の夏、奈良県であった全国中学校体育大会(全中)を観戦に訪れた際、大阪・上宮中学校2年だった内本隆文選手(25)から声をかけられた。「俺らが全中取ったら上宮にこいよ」。上宮は男子団体で初優勝し、当初は県外への進学に反対だった両親の理解も得た。内本選手とは巡り巡って、今回のアジア大会でペアを組むことになる。

 上宮中では上宮高校の生徒とも汗を流した。「日頃から高校生と乱打して球のスピードに自然と慣れた」と振り返る。1年から団体メンバーに入り、全中で頂点に立った。3年で再び栄冠をつかみ、個人戦でも和歌山県出身の上岡俊介選手(23)と組んで準優勝。上宮高3年時には大学生や実業団選手も出場する全日本選手権で3位になった。

    □   □

 在学中、広島県に拠点を置き、多くの日本代表選手を輩出しているNTT西日本から勧誘された。いったんは大学進学を目指して断ったが、上宮高の顧問から「こんな機会はない。大学を経てまた声がかかるか分からない」と言われ、悩んだ末、実業団でトップ選手を目指す覚悟を決めた。

 同期入社は大卒や大学院卒ばかりで、午前中には仕事などもある。環境の変化に戸惑いもあったが、周囲の理解ですぐにリズムをつかんだ。

 入社1年目、インドネシアであったアジア大会を自腹で現地応援。国内大会とは異なる緊張感を肌で味わい、海外チームの独特の戦術も目の当たりにした。大舞台で活躍する日本代表がまぶしく、「ここで戦いたい」と思いを強くした。

 昨春、杭州アジア大会のメンバーを決める予選会があり、シングルスで頂点に立った。「チャンスをつかみきれた」。うれしさがこみ上げた。

    □   □

 迎えた今大会。日本はフィリピン、モンゴル、インドネシアとの予選グループを危なげなく勝ち上がり、準決勝で強豪韓国のエースペアと激突した。代表コーチから「勝てばヒーロー」と送り出された広岡選手は、小学生時代に憧れていた内本選手と公式戦では初めてペアを組んだ。ダブル後衛や隙を突いて前に詰めるなど息の合ったプレーを見せ、5-2で快勝した。

 決勝で対戦した台湾のペアは、2019年世界選手権王者。加えて完全にアウェーの雰囲気だったというが、広岡選手は「自分たちへの声援だと思って戦った」とひるまなかった。

 3-3で迎えた7ゲーム目。流れが相手に傾きかけていたが、「プレッシャーをかけてこない。大事にいってるな」と冷静だった。持ち味の攻撃的なプレーで強打をたたき込み、5-3で押し切った。

 日本の2006年以来の栄冠に貢献した広岡選手は「金メダルは実感が湧かなかった。やっちゃった、という感じ」。26年のアジア大会は名古屋市で開かれる。「夢であり最大の目標。全種目に出場して、すべて優勝したい」と誓った。