「ゴキブリの研究をしています」と言うと、たいてい一瞬の間が空く。相手の脳内で、台所を走り回る黒い影が全力疾走している時間だ。慣れているので気にしない。だが、ここでは最初に一つだけ、はっきり言っておくことがある。私が研究しているクチキゴキブリは、害虫ではないゴキブリだ。
クチキゴキブリは、沖縄の森林の奥深く、朽ち木の中でひっそり暮らすゴキブリである。家に出没することはないし、人の食べ物を狙うこともない。そもそも、「普通」に人生を歩んでいれば、まず出会うことのない昆虫だ。朽ち木を食べ、トンネルを掘り、その中で両親と子が同居する核家族世帯を営んでいる。彼らは森の分解者として静かに役割を担って生きている。
そんなクチキゴキブリが、なぜ研究対象として面白いのか。それは、彼らがとんでもなく不思議な配偶行動をとるからだ。成虫のオスとメスは、つがいになる過程で、互いの翅(はね)を食べ合う。そして、最終的に翅をすべて失う。飛ぶための器官を失ってしまえばもう逃げられないのに、気前よく相手に差し出してしまう。字面だけ見ると正気を疑うが、事実である。
この「翅の食い合い」を終えたペアは、その後一生を共に過ごす。他の成虫が近づけば激しく追い払い、浮気もしない。木の中で巣を作り、子どもが生まれると、両親そろって口移しで餌を与えて育てる。翅を失うことは、簡単に相手を変えられない状態になるということだ。クチキゴキブリは、自分たちで退路を断った上で関係を結ぶともいえる。
合理性や効率を重視する人間社会と比べると、この行動はどうにも不器用だ。しかし、裏切らず、選んだ相手とつがい続ける生態は、ときに人間よりも誠実に見えてしまう。少なくとも、条件次第で関係を切り替えることはしない。
なぜ相手の翅を食べるのか。そして、なぜ自分の翅を相手に与えてしまうのか。これはまだ解明されていない謎である。この問いに答えられる日が来た時、「ひとはく」から世界へ向けて、発見を発信できることを楽しみにしている。























